何に疲れているのかわからないとき
私は、正直、今、明るい気持ちになれません。というより、前向きになれないという方が正しいかも。
とはいえ、毎日、ある程度するべきことはしているようです。手帳に書き出してみたら、それなりに、いろいろやっているのです。ただ、こころがウキウキしてこないのです。
以前は、次に〇〇の授業がある、と思うだけで、心トキメクものがありました。とここまで書いて、ああ、私は、十分指導は楽しんでいる、と気付きました。
では、何か?
私は、今年は経営者になるからね!と宣言しているのですが、そっちが苦手なのです。開校当時から、早く誰かに経営任せて、私は、講師、しかもエースピッチャーに戻りたい、と思ってきたのです。
しかし、もっと役に立ってくださいよ。もっとたくさんの生徒さんに関わらなくちゃ!と言われて、それなら、先に経営にどっぷりつからなければ、と思い、勉強を始めました。それが、どうも、最近、こころときめかないのです。
文学、哲学なら、なんだか心が潤ってくるのを感じます。しかし、マーケティング、となると、なんだか、気持ちが外れてくるのです。これが、教育以外なら、人のために、マーケティングもするだろうし、お金、という方向に気持ちが向くのでしょうが、元教員の私には、なかなか教育と経営が結びつかなくて、勝手に情報交換しましょう、と言われて、そんでもって、こんな風にうまくいってるところがあります、と言われたって、私がしたいことと違うものは、響かない。
自分から勉強して、それなりに消化して取り入れているものには、感動がありますが、お金ありきの話には、ついていけません。すみません。否定はしませんが、私に、それが正しいでしょ、的にクロージングされても無理は無理。
先日、ちょっと嫌な思いをしたのです。経営に年齢も何もありませんが、いきなり、どうなりたいですか?個人的に?と訊かれて、思いつかなかったのです。おかしな話ですが、私の教育活動に、社会的使命を外して語ることなどできないのです。そしたら、幾分押しつけ気味に、そうじゃなくて、個人的に、と言われて、そうね、と趣味の話をしました。でも、まあ、そんなに頑張らなくても、と話すと、それは、無理ですね!と一言。その瞬間、あ、無理!と思いました。
で、考えたのです。この人、私と話していて、自分に意図をもって、話してる、私の話を白紙で聞いてない。だから、かなり不快になりました。私の想いを引き出すのではなくて、意図をもって近づき、役に立ちたい、という名目で話してる。
いや、仕事をする限り、ある程度みんなそうです。でも、相手が、win-winで一緒にやろうとしているかどうかはわかります。きっと引き込むのに必死なのでしょう。そんなやり方、続くわけないでしょう。まず不快な気分にさせて、不安を煽って。
ちょうど、ある人について話していましたが、その方は、そういう意図はいつもないのです。自分が必要なら、どうぞ。来なくても大丈夫。というスタンス。だから、押し付けがましくない。まあ、それ以外の話は別にして。
そうできる状態だからでしょうし、でも、そもそもやる気なんですか?と最初に聞かれました。ちゃんと私という人間を見抜かれてもいたのでしょう。
今、ちょっと嫌な気分を抱えています。やり方の合わない人に、嫌な指摘をされたから。
口汚い言葉で言うと、いくら勉強しているからって、若輩者のあなたに、私の気持ちの何がわかるの!?偉そうに言わないでよ!でした。
私は、先生にあたる人には、年上も年下もありません。現に年下の先生から教えを受けていますから。でも、敬意もなく、バシッと言われた不快感は、しばらく拭えないだろうな、と思っています。
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