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この2、3日のショッピングと裁判所の前の交通事故とー母の反応から考えたみた。
一昨日から、その前の晩に母が台所を使いやすくするために、新しいキッチンボードを買ってみてはいかがか?と思ってから、買い物しに、ニトリやら大型家電店やら、イオンショッピングモールやらあっちこっち出掛けているので、Upmindの計測から、私の1日の歩数が断然伸びている。
その分瞑想やヨガなどの時間が減り、30年間でのお得になった医療費がちょっとばかり目減りしていて、何よりも運動ではないのかな?と思っている。
そういえば、睡眠時間が減っていると計測されているのが原因かもしれない。
どうも私が歩数を伸ばそうと思った時には、三井アウトレットパークかイオンショッピングモールとニトリなどを組み合わせるのが一番効率的だと思われる。
が、
ちょっと疲れて、甘いものが欲しくない?
などと言って、ゴディバやサンマルクカフェや星乃珈琲店などに寄るので、体重などはそうそう増減がなくなってしまったりするからいったいどうなっているのだろうか?
とりあえず、昨日は大型テレビを見に行った。
テレビは、ある。
つかないわけではない。
私がほとんど使わないのである。
以前には、昼間一人でいる時間、そうそう仕事にのめっていなかった頃、しかも試験勉強を少々休止していた時期、印象画の美術品が日本にたくさん来た頃、私は印象画についての番組をさんざん録画し、それからノーベルウィークにも大変に番組を観続け、それからドラマもその時期は録画までしてみていた。映画も然り。
でも、仕事で充実すると、テレビは無用になってしまう。
ついていても自分の中に入ってこない。
そんな私に、あれこれ言っても仕方がないと思ったのか、使いやすいテレビ選びと設置と設定のために付き合わされたのである。
でも、母は自分の持ってきた大型テレビが自分がほとんど使っていない2階の部屋にあり、しかもそれを動かす気が私にはないので、かといって私は観ていないというわけで、なんとしても自分のいる部屋にテレビが新しくほしくなったようである。
私のそう大きくないテレビは嫌なようである。
いったい家に何台あるのだろうか?
でも、そのテレビは、なんというか、用途に合ってない。
ということで、家電量販店に出向いた。
交渉は私。
最初はテレビの種類から、何が違うのか?値段の差は何を表しているのか?
おすすめは何か?
家にあるテレビの種類を語り、必要がなくなりそうなテレビの処分をお願いする。
日にちから何から何まで語り合い、これでいい、ということで、私の大好きなSONYのテレビにし、これでやっと母がアマプラから何から全部見れるようになることを期待する。ケーブルテレビでたくさん見ることのできるコースを選んでから、どれほど時間が経ったことだろうか?
この点が母には大きな不満だったようである。
だから、私のようなものに訴えるからダメで、かと言って、遠方にいる家族の誰かに、少ない休みの日に訴えるというのもナンセンスではあるが、私が非常識だったとも言える。
昭和のテレビっ子世代の私。
目の前にテレビがあっても、自らつけるということをしない。
なぜか?
それは、テレビが自分からいかに容易に時間をもっていくかということを知っているからである。
とはいえ、映画やドラマは自分の好きなものは、適当に選んで(ここ重要!)観ればいい。録画し始めると、観なければいけないという強迫観念に襲われて、すぐに時間がなくなってしまう。
それならその分の時間を本を読んだり、レシピ研究したりしたい。
そういえば、勉強しないと言って、ある一定の期間、父がテレビを観れなくしたことがあった。
私にとっては好都合だった。勉強できる。(笑)
担当のお兄さんが、あまりに素晴らしくセールスしてくださったので、アンケートには思い切り誉め言葉を並べておいた。
それからキッチンボードを家で寸法などを考えてレイアウトした結果何とかなったので、正式に注文に行った。
その前日はイオンに行き、ユニクロにお付き合いさせられて、自分のものもたくさん買ってしまった、という話は書いた。
そして帰りに違う館にあるカルディに寄る前に、思い出の(大阪なんばで母と旅行に行くたびに、サンマルクカフェで待ち合わせをしたものだった。)サンマルクカフェに行き、最初はパフェにしようか?ととんでもないことを考えていたが、どうしてもコーヒーが飲みたくなり、それに、目の前にある卵サンドがあまりにおいしそうで、チョコクロと一緒に頼んだ。
おまけに、母の、
これも食べてくれる~?私、もう食べられへんから・・・。
と言っている分もいただくことになる。
違反である。炭水化物がたくさん。パンもお砂糖も、ミルクもあれこれ。
歩数が伸びた。確かに伸びた。
私は、お買い物三昧の帰りに自然を感じたくなり、やっぱりこういうときには雨晴とばかりに車を走らせたが、ちょうどラッシュ時に遭い、教室に着くのが遅れそうになった。
ちょうど教室の前で母を下ろし、申し訳ないけれど、帰りは一人で帰ってもらうことにした。
私が家に帰っての報告によると、裁判所の前で、車が大破していて、警察官はいないのに、セーターを着た若い男性が、そのあたりの車をあれこれぶつからないように道路の車をうまく誘導していたらしい。
なんでも白い大きな車が右ドアと全面が大破していて、ドアが大きく開いていたとのこと。
それがなあ、警察の人、いてないみたいやってん・・・。
警察呼んでて様子も、ピーポーピーポーってパトカーの音もせえへんかってん・・・、と言っている。
この話のおかしさって何だろう?
と思っていたが、母の疑問がどこにあるのか私には一瞬分からなかった。
どうもその人が落ち着いて車がぶつからないようにしていることが面白かったみたいだった。
それって、裁判官か検察官の人と違うん?
ご自分が事故を起こして、だからそれ以上そこが混乱したり事故起こしたりしないようにと思ってやってはったんと違うんかなあ?私だって、その身になったとしたら、自分の事故がそれ以上、二次被害を起こさんように、そうするやろし・・・。
と言ったところで、はっと気が着いた。
私は、そんな優秀な裁判官や検察官の人と同じにはならない。
でも、その場所で、もしも自分の車が、いわゆる物損でぶつかってしまったとしたら、保険屋さんに電話して、レッカー車で自分の車をどかしてもらうまでに必要なのは、ラッシュ時に、ほかの車が二次被害的に巻き込まれたり、事故を起こしたりしないようにと、努めるだろうということである。
それは、母には普通のことではないのか・・・?
と思い始めて、変な言い方だけれど、普通の主婦なら?普通の人なら?って、この普通が何かはわからないけれど、そうかもしれないなと気付いたののである。
かつて応援程度に、ある中高一貫校の中学部の指導に行っていた。
ある日、ちょっと可愛い系のニットの編み編みのインのセーターが見えるようなベストとフレアースカートを着て行った。
後ろから、
普通のおばちゃんみたいな人が一人~。
と言いながら生徒数人と一人の先生が私を追い抜かしていった。
確かに教師らしい服装というより、ちょっと可愛めであることは認めた
○○!それは間違っている!
私は普通のおばちゃんみたいな人ではなくて、普通のおばちゃん!
と言いつつ、どうしても、自分が普通のおばちゃんみたいな人と表現されたのかわからなかったのである、頭ではちょっとわかる気もするが、気分的に腑に落ちなかったのである。
いったいなにが違うねん!?
で、母がよく私を頼りにしてくれている根拠も何もわからなかったけど、まあ、生徒を引率し、何か起こったときには、とにかくそれ以上の問題にならないようにととりあえず冷静になり、自意識など捨てて、その場を何とかする癖がついているんだなと気付いたのである。
そういえば、新任の頃から、先生は先生である。
何か起こったときには、若かろうと、若い小娘であろうと、周りに自分より年配の誰がいようとも、自分たちが何とかしなければならないし、その場にいる生徒を何とかしなければならなかった。
だから人前で話すことなど当たり前。自分が恥をかいてもなんとかその場が盛り上がってくれればいい。
自意識などくそくらえ。
目立とうが恥ずかしかろうが、その目の前にあることを進めてなんぼ。
という生き方をしてきたことに気付いた。
母の話していた、本当にその人が、裁判官だったり検察官だったのかはわからない。
ほかの仕事の人だったのかもしれない。
でもその母の驚きを分析した挙句、私と母のいつもの会話のイライラの原因が分かったような気がしたのである。
自分を捨てて、とりあえずその場に役立つのが当たり前になっている。
ましてや自分のしでかしたことで、もっと大きな被害になってはいけないのである。
そういうところか?普通のおばちゃんでないというところは?
ならば、誰かが、何かについて、さっさと自分で決められなかったり、弱いところを見せたり、ちょっとばかり自意識過剰になったりしても、それを責めてはいけないなとも思った。
母のことを、ときに自分のことしか考えてないと思ってしまう。
そこまで自分のことだけ考える?などと。
高齢だから、とよく言われるけれど、私たちが若いころからお父さんとお母さんは年取ってる・・・、って言ってたやん。
などと。
ここか。母との齟齬は。
それに先生が、最近、母擁護寄りの発言をなさるのは。
私が自分を見誤っているということか・・・。
普通でなくなっている面もあったのに、いつの間にか、ちょっとずつちょっとずつ勇気を出した瞬間を思い出してみたりする。
そういう仕事だったよな・・・。
と思ってみたりした事件だった。
私の独りよがりさも含めて。
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