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次に行く時。
いやはや、綺麗事好きな私にしては、なんというチョイス。
ジェラシー、だなんて。
ジェラシーになるかどうかは別にして、師との葛藤、というのはあると思う。
幸いにして、か、不幸にして、かはわからない。
私は生徒にジェラシーを感じさせていただいたことはない。これはそもそも性格によるものか、あるいは職業人的な信条みたいなもので、自分の仕事を全うさせれば次!みたいな感じなのかもしれない。
メンターに近くなるのかな?
まあ、師と仰ぐ人が、今までに何人かいらした。
師匠、と呼んでいた人もいらっしゃる。
そのうちの1人は、かなり長い付き合いである。
私は何度もこの方を「捨てよう」とした。(笑)
離れたくても、戻されるのである。
が、しかし、先日、本当に些細なことで相談して、何度目かの、キッ❗️という言葉を聞いて、
あー、もうやだな。
と思ったのである。
この師匠は、今とは違う関係だった。まあ、関係性の変移でいうと、この方と私ほど、激動の変移はないだろう、というくらい。
最初は、小さな子どもを連れた、まだ若い子娘状態の母だった。
それが仕事をし出し、その後、いくつかの関係性の変化を経て(間違っても男女として、などという素敵な方面での関係性ではない。笑笑)、いつの間にか、大したことはなくとも一応経営者な私。
考えてみれば、いつの間にか、経営者扱いしてる?と思わされること、数回。まさかね、とは思うものの。
何もキッ❗️となられることを言った覚えなどないのに、キッ❗️って?
で、いつもながらのアホな私も気付いた。
今までのアドバイス、私のことを考えて、だけじゃなかっただろうな。自分の立場を考えて、とか、それ以上やるなよ、とかいろんな感情があったんだろうな。
だいたい人が善意から話す、と信じ過ぎだ。
と最近気付いた。
なぜなら、私は、仮に、相手が嫌いであっても、事実を曲げてまで、違う判断を言ったりしないし、そのときに精一杯、相手の役に立つことを言ってしまう。
仮に色恋沙汰の相談を受けたとしてもそうなるだろう。(そんな素敵な相談は、受けたことないけど。)
で、先日のキッ❗️に私は呆れ、それは個人的感情としてはあっても、職業人としてはないだろう、と呆れてしまったのである。
ある意味、師を超えてしまったことにしようかな?と勝手に判断している次第。
今までにもあった。
寂しい別れ。
でも、それは、必ず自分が次に行くサインとなっている。
だいたい価値観が違うことはわかっていたのだし。
ちょっと凹みはするだろう。長年、信じて?いたのだから。
だけど、見えたら終わり。
そうして、互いに真実であった分だけの結果が、それぞれにやってくるだけである。
親ガチャ、なんて甘いものではない。
自分のしたことの結果、そんなもの、努力なんて言葉で片付けられるほど甘くない。姿勢の方が適切か?と思う。
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