ゴミ当番と人間模様
今月は教室の方の不燃物のゴミ当番である。
10月に自宅(仕事場でもある。)の不燃物のゴミ当番で、11月前半は教室の方の不燃物のゴミ当番だったので、なんだか最近ゴミ当番続きで、まあ、年末に向けて自分もたくさん出すものがあるので、ちょうどよいなあ・・・、と思っていた。
今日は5時半起き。
ゴミ置き場に物置からごみ捨てようのかごやら札やらを出してスタンバイ・・・、しようと思って横を向いたら、まあなんと大量のビデオテープが入った袋の山また山。場所がちょっと違うと思って移動させただけで、中身がバラバラと出て来る。袋が薄いのでもう一つのも破れた。
あらら・・・。これは家に帰って袋を持ってきてしっかり入れ直さなければ・・・、と考えていた。ちょっと大変になるかもな。
そしてまた車を走らせ、家に帰って袋を取って来て、そのとき自分が無免許だったということを知り、つまりは免許証を入れたバッグを忘れたことを思い出し、ああー、よーかった!
またゴミ置き場で車から降りたら、明けてきた薄曇った向こうの方から年配のご婦人がゴミを持って来られたので、
あちらの高分子のゴミ、今から袋に入れますね・・・。
とご心配を掛けないようにちょっと声を掛けた。
そしたら意外や意外、その方からこんなお話。
いや、あれ、うちの息子が出して、私さっき気付いて、怒って、もう一回入れ直しさせたのよ。本当にすみませんねえ。言うこときかんから。ちょっと障害持ってるというか・・・。
とのこと。
あらら、要らんこと言ってしまって、かえって気を使わせてしまったのかもしれないなあ、と反省した。
先日から、お笑いタレントの方がゴミ収集の仕事をしておられて、出されるゴミにはその人の人生が見えるということらしいということを記事で読んでいて、大いに納得し、私もできるだけ丁寧にゴミ出しをしたいと思っている。
そのことから見ても、
こんなゴミ出しの仕方する人、不徳積むやろなあ・・・。
と思っていた。その論理で言うと、片付ける私は徳を積むということになる。(笑)
そういえば、昨日、母の歯医者さんに付き添った帰り、寒いからラーメンを食べたいとおっしゃるので、スタッフと出掛けて、
今まで食べた豚骨の中では一番おいしかったです!
と言われたラーメン屋さんにお連れする。
昨日は寒かったので、このちょっと濃厚なラーメンはお気に召すはずである、という信念のもと、お連れした。
そういえば煮卵の券を2枚手帳にはさんでいたのを忘れて行った。
それを言ったら、ネームプレートに青葉マークのついた店員さんが、
それはできます!煮卵付けても大丈夫です!
とおっしゃったので、話の展開に驚いたけど、本当に美味しい煮卵がついてきた。
寒い日に濃厚ラーメン。
実はダイエット中なんですけど・・・。
でもおいしかった。
しかし、母のお出かけにお付き合いすると、母は私を悪の方の誘惑に誘う。
いいやん、これくらい食べても・・・。明日から頑張ったら・・・。
この、明日から頑張ったら・・・、発言、もう3日目ではないかしら?
その前の日もイオンのユニクロに着いて行き、その帰りにサンマルクカフェに寄って、キャラメルラテを頼んだけれど、そこはクリスマスのパッケージのピスタチオのチョコクロワッサンに目が留まり、2人で1つなら・・・、ということで試してしまった。おいしかった・・・。
ダメである。この展開。
が私がお連れするお嬢様は、私が店員さんにお聞きして、意見を聞いてめでたくピンクと濃いグレーのダウンジャケットを選べたので、ご満悦で、ニッコニコでキャラメルラテをお召し上がりになっている。
ついでに食材を見ていたら、私の心をそそるものがたくさんセールになっている。
お肉もお魚も心惹かれ、あれ作ろう、これ作ろう状態である。
ちなみにほしかった野菜もたくさん安くなっている。
買い込んで、時間短縮のために自動レジに行ってしまったのが良くなかった。あまり賢くない自動レジ。すぐに文句を言い出して、人を待たせるのがお得意である。
数回スタッフを呼び出して、対応してもらう。チラッと見ると長蛇の列になっている。
恥ずかしいし、なんで私がこんなものに振る舞わされるわけ?
よくあるおばちゃんが機械が苦手の構図を強化してしまいそうな責任まで感じてしまう。
終わったときの店員さんのご挨拶から、ああ、これは頻繁にあるんだろうな、と理解する。だからみんな人のいるレジに向かうわけね・・・。
人件費削減になってないと思うけども。
話は戻る。
ラーメン屋さんからの帰り、母を自宅に送り、そのまま教室に直行しようと思っていたら、男子高校生が仲良く並んで雨の中を傘もささずに歩いていた。結構寒い日である。
後ろのシートにクスリのアオキで買った、安ーい傘があることを思い出す。
ちょっとお節介かな、と思っている頃にはちょっと前の道路に車を停めていた。
色の白い賢そうな男子2人だった。
この傘持って行って・・・。
と言うと、遠慮がちに、
いえ、大丈夫です。
と言われたけれど、
駅まで行くんじゃないの?寒いよ。どこまで行くの?
と訊いたら、
駅までです。
そしたら、これ持って行って。駅までまだ相当遠いから。おばちゃん気になるから。うちの娘も同じ高校だったから、ね?返さなくていいから。
と言ったら受け取ってくれた。
思えば我が娘がこの道を通って、高校まで通わせてもらった道である。当然同じ高校の生徒さんたちがたくさん下校している。たくさんの方々にお世話になって育ってきたことを思う。
本当に子を思う親の闇である。いつまで経っても子どもを思うし、後輩だと思えばどうしようもなくなる。
さて、母には、
今日した私の行いは、どこかでうちの子どもの所に返っていくでしょうよ!
私はいいことをした人ではなくて、周り回って自分の子どもたちのところに行ってほしいというもちろん功利主義である。
とはいえ、私はそうやっていい人めいたことができたけど、ビデオテープを捨てた息子さんのお母さまは、私のような若輩者に、
すみません・・・。
とおっしゃらなければならなかったそのお心の辛さを思ってしまった。
言わなければわからなかったのに。正直に言ってくださって・・・。
しかもちょっと障碍者という表現までされていた。
言わなければわからないことなのに。
私も我が子のことではあれこれたくさん謝って来た。
小学校の男性の先生方は一番容赦なかった。
酷いときには、密室状態の廊下から一番離れた先生のデスクの向かいに座って、聞かされるお話は、
そこまでうちの子おかしいですか?
というほどのもので、
わかってますかー!?
と睨みつけられた。
そのひと夏、私はノイローゼ状態だった。
夫は、ことあるごとに、私をからかって、
○○先生、わかってますかー!?って?
と再現した。(笑)
もちろん我が子がすべて正しいとか、出来がいいとかは思わない。でも次の小学校で先生がおっしゃっていたように、
ああ、○○ちゃん、気に入らないとことがあるときに、ぷんとふくれることはありますよ。でも、それは小学生ならだれでもあることですから。
と別にどうってことないようにおっしゃる程度のことだったと思う。
感情論でもあったのだろう。
うちが転校した時に、
残念ですね・・・。
とおっしゃった。その後、新しい学校での担任の先生が何という名前か、女性か男性か、など詳しく訊かれた。
当時はあまりわかっていなかったけれど、その先の学校でうまく行ったらご自分の指導が良くなかったと思われると思われたのだろうことくらいは容易に想像がつく。
その2年後、仲良くしていたママ友から、その先生の学習発表会でのあり方をお聞きし、その次に転任になった学校での発言をさらに聞いて、うちの子も良くないにせよ、その先生も教師としてどうだったのだろうか?と思わされた。
要するに都合がよくない生徒だったのだろう。
下の子も、男性の先生に指摘された。お友達も多かった。リーダーシップも取っていた。でも、みんなで話が決まりかけているときに、なんでそこでそれを言うか?みたいなことを言う、とおっしゃっていた。
そして決まって、
いえ、○○くんは能力あるから、彼のことは心配してないんです。
とおっしゃった。
一斉授業をするときの悩みとしてはわかる。
でもなかなかクリエイティブな発想の息子はただ誰かを困らせようとしてではなくて、単純に良いものを作りたかっただけだと思う。
我が子が誰かの取って迷惑を掛けたり、よく思われなかったり、生活の大半を過ごす学校で、担任の先生からよく思われていないなどという状態は本当に辛いものだ。
我が子が正しいと思っているわけではない。
ただ、ちょっと心を広く持って、大きく包んでいただけたら母としてはありがたかったと思う。
正義感だけは本当に強い2人である。
特に娘はおかしなことは許せない。
母親の欲目かもしれないけれど、娘が先生とのことで話していることというのは、私たちが言わないようなジェンダーに関わっていたり、それは言ってはならないだろうということだった。それは私でも怒っただろう。いや、私自身は小学校5,6年の担任は諦めて、怒ろうとも思わなかった。
コラ、大工の息子・・・、って言ったんだよ。
あなた女の子でしょ・・・、って言ったんだよ。
どういう文脈かはわからないにしても、それを公教育の場で行ってしまったらおしまいという言葉だと思う。
家庭でどうであれ、私は学校はどの子にとっても居心地のいい場所であってほしい。
あらあらゴミ当番のお話からとんでもない話に発展してしまった。
私はせいぜいうちの教室に通ってきてくれている生徒さんが、できるだけ安心して勉強してくれるような環境を作っていこうと思う。
でも、世の中にはいろんな人がいるから、そういうことを小学校のうちに学べたというのもそれはそれでよい経験になっているものだと思う。
先生方のこころの中で、家の子どもたちがどういう思い出の中にあるのかはまた別の話として。
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