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昨日生徒が褒めてくれて、めっちゃ嬉しかったこと
中一生のK君が、昨日三人で話していた(中間考査の自習に目の前に座っていた。)ときに、まったく文脈とは違うのに、いきなり、
でも、櫻井先生って多才ですねえ・・・。
と言ったので、心の中で、
この子、多才の意味を知って言っているのかしらん?
と笑ってしまい、本当に面白くて、つい、
あなた、多才ってどういう意味か分かってるの?
と聞くと、案の定、何にも答えないので、乗ってしまった私は、
じゃあさあ、私のどういうところが多才なのか言ってみてよ・・・。
と聞くと、
ピアノが弾けてー(そういえば、さっき彼が玄関に入ってきたころピアノを弾いていた。一瞬だけど。)、勉強できてー。
とここでツッコミ。
勉強できることにしてくれてるの?
と聞いてしまう。彼のお父様はドクター。なのに先日、doctorのスペルとmotherのスペルを間違えて、
親の苦労をわかっていない親不孝者か!?
と、私に呆れられた経緯がある。お父様の職業のスペルを間違えるなんて、家の子どもが、teacherが書けないようなもの。あらら、うちも父親の職業など、言われてみれば簡単だけど、きっと書けないな、と思って、ちょっとかわいそうだった気もしてみたが、それを口に出していたのでまあ、許されるだろう。
そのお父様が、中学生のころ、どんなにお勉強ができたかということを子供たちに話しておられるらしく、末っ子の彼に至るまで、ご兄姉からその話はもう十分にお聞きしている。その件があるから、私ごときも勉強ができることになっているのかな?と思ったのである。
でも、つい言ってしまったが、ちょっと塾の先生としては失言だったかもしれないな。勉強できなくて塾の先生はしてはいけない。
それから、彼は、
料理もできて(いや、お母様方はみんなお料理されるやろ?)、たくさんの人を知っていて(?)、相談も受けられて・・・。
相談?どこで?
と、彼の前で相談を受けたことが会ったかなあ?と思い尋ねてみると、
こうやって・・・。
と横に座っている先輩から私へと手を動かす。
先輩と私は大笑い。
中一なのでまだ本当に素朴で、いろいろ時には暴露してくれる。
誰にも言わないが、そんなこと聞いてもいいんかいな?というような場合もある。
お姉ちゃんはちょっとそんな彼に困惑気味。
昨日は二階で自習していたので、その場にはいなかった。(笑)
それからいろいろ二人から話を聞いていたが、どうもこのメンバーになると聞くことになるという話題がある。
人の本音というか、彼らの関心事であったり、友達観であったり。
こういう、感覚を大事にしている生徒の話は、いいなと思う。
指導をする際の彼らを理解するためにも役立つし、もっと大きく言えば人間理解もできる。
どうもここ数年、もちろん当たり前に受験指導の中で、ましてコロナもあったりして、こういう話を聞く機会がなかった。というか、生徒に競争意識のほうが勝っていて、気持ちの問題を聞く機会が少なかったような気がする。
競争意識は大事だけれど、それとは別に自分の本音をちょっと話せる場も大事だと思う。
その彼の前で、大学受験組に厳しいことを言っていたある日、
あなたもそのうち、先生から叱られるかもしれないわよ!
と言うと、
ぼくももう叱られてますけど・・・。
と言い出して、
ぼくが悪いからですけど。
と言うので、
あなたの悪いところって何よ?
と聞いてみたら、
ぼくの勉強の仕方がいい加減だから・・・。
ああ、よくわかってるじゃない。
その次に、
doctorとmotherのスペルを間違えたこと。
と言ったので、その場にいた生徒も私も大笑い。
そういうほのぼのしたところが彼にはある。
そんなにおしゃべりではないらしい彼が、少しずつ自分を出して、あれこれしゃべろうと頑張っているのがわかる。
だからその瞬間がいとおしいのである。
ちょっといわゆる弄ってみると、彼は必ずそのことを一生懸命に考えて、いわゆる返しをしようとして、言葉を選んでいる間がある。
私もかつて、そう小学校の低学年のころ、口が重くて仕方がなかったらしい。小さい頃はあまりしゃべらなくておとなしい、内気で通っていた。
何とか普通にしゃべることができるようになりたかった。
勇気を出してあれこれ言ってみる。反応を伺う。
そんな時代があった。中学校でもそうだったし、高校でも幾分そうだった。
いったいいつごろから多弁だなどと言っていただけるようになったものだろうか?
何とか気の利いたことが言えるようになりたい。
それ以前に世間話ができる自分になりたかった。
意味のある会話しかできなかった。いわゆるスモールトークができなかった。
いつも何か目的のある、意味のあることしか言えなかった。
井戸端会議など全然ダメ。
今も井戸端会議はできるかどうかわからないが、その時間を過ごすことはできる。おそらくは頓珍漢なことも言ってるだろうけども。
だから、少々口が重めの彼が、話し出すときの可愛らしさったらない。
いとおしくていとおしくてたまらなくなる。
つい先日まで小学生だった。
だからこそ、今、時に甘やかしてはいけないなと思っている。
ちょっと厳しめに言っておかないと。
勉強に対する姿勢。生活の中でしていいこと、悪いこと。
時間について。
そういうこと一つ一つが勉強する力を支えてくれる。
つい母親的に優しくてしてしまいそうになる自分とほんのちょっと闘って、自分の力で考えて、しっかりけじめのある人になってもらわなくちゃ・・・。
などと幾分、いえ相当おせっかいなことを考えながら、指導している。
でも、結構彼も自分を出してきている。
一人一人の生徒さんと付き合いながら、どこか昔の自分と出会い直したり、こういうところあったなあと思いだしたり、だからこそ、
今、この子はこういう状態かな?
とか、
こういう気持ちなのかな?
と思ってみたりする。
こういうときに、教師って、やっぱり楽しいなと思うのである。
思い切り難しい数学を解いていたり、小難しい評論を語っていたりするのとはまた違う喜びである。
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