今日はどの私でいく?ーどれも使ったらいいやん。
昨日、母がおもしろいことを言った。
二階であんたが何かしてるとき、私、なんか男の人がいてるような気がしてる・・・。
この数日、ゴールデン・ウィークに入ってから、二日間ほどはお休みをいただいて、その次の日の指導まで、「私は使い物にならない宣言」をし、眠りに眠っていたのだけれど、その次の日は助走めいていたが、その翌日、つまりは一昨日からとりあえず、教室の近くの仕事場の、徹底的な片付け&レイアウトの変更をしているのである。
初日は、私の寝室の隣の書斎のレイアウトを徹底的に変え、もともとの書斎の形をしていても、書斎と認めていない状態だったということに気付いた。
もうたくさんある本をあっち持って行き、こっち持って行きして、定位置をなるべきく便利なように置き換えた。教室から仕事場に行ったものもある。辞書類などは、どちらにもあるべきものは複数持っていなければ仕事にならないし、かといって、全部ダブルでとなるとこれまた大変になる。ときにあっち持って行き、こっち持って行き仕事をすることになったりする。
そして、今日、私は自分のクローゼットの在り方に不満があり、ちょっとしたDIYよろしくあれこれやっていた。ちょっとしたことのあれこれに取り組んでいた。だいたい押し入れとかクローゼットとかの用途って、時とともに変わっていく。
思えば私は小さいころから、祖父の道具を勝手に使って、
また、真弓が悪さしたー!
と怒られながら、裏庭のわからないところで勝手にあれこれやるのが好きだった。商売人の家なので、いつも祖母や母の目があるともいえず、結構したいことをしていた。だからか、小さいときは一人遊びが大好きだった。
それに女の子的なことも好きだったけど、およそ男尊女卑的ではなく、家付き娘の祖母は、娘や嫁の方にの方が手厚かった。孫たちも男の子が少なかったからか、女の子にの方が気持ちがいっていた、というか、大阪弁で言うところの、
いらいたがった。
つまりは可愛がったり、揶揄ったり、かまいたがったのである。
私は幾分広い、影も日向もある古ーい町家の中で、やりたい放題していた。うるさい父も昼間はいなかった。
ということで、いまだに簡単なDIYが大好きである。
とはいえ、最近はあまりのこぎりも金づちも使っていないけど。
でである。
母が、いつも私のことを、女性らしい、とかいかにも女性という雰囲気と言うので、
お願いだから、誰か知っている人を例に挙げて、どんな人間だか教えて・・・。
と言っていた。
なぜなら、私はあまり自分のことを女性らしいとは思えていなかったからである。
だから、母が、
二階に男の人がいる気でいる。
と言ったときに、変に納得して、嬉しくなったのである。
これって、男尊女卑であろうか?
しばし考えた。
でも、私はいわゆる女性がすることが大好きである。ふふふ。
今年こそは、スカートとブラウスのセットアップを縫おうと思っている。
これは結構本気。いや、仕立て屋さんには男性が多いからそれはちょっと違うかな?
どうも、私にはいろんな面があると母は改めて思い、とってもおかしく思っているらしい。
あまりに周りが子ども扱いした表現をされるので、それを母に言って、
私がガキやから・・・。
と表現すると、
別に幼いとか子どもやとかいうわけやないねんけど、無邪気なとこあるというか・・・。ふふふ・・・。
と笑うのである。
年齢のわりに大人になっていないのは認める。とっても認める。
大人の女性がそうそうなさらないことをしたがることも自覚している。
で、母はなんで私のことを女性らしいと言うのかがわからない。
だから、誰か似ている人を目の前に表してほしい。
お願いだから・・・、と言ってもわからないという。
私の自己認識も、いつも周りと違って困る。
お願いだから、私のアイデンティティをまとめてほしい。(笑)
とかなんとか考えず、したいことをさせていただく。
まだまだしたいことはたくさんある。
年齢を考慮して、やりたいことをセーブするのはまっぴらごめん。
悪いけど、したいことは死ぬまでに全部やらせていただくことにした。
と、先日宣言した。
というのも、高二男子と、ある話をしていたからだ。彼は東の最難関大学の理系学部を目指しているのだけれど、なにげに私と似ているところがある。
こいつ、スティーブ・ジョブズか!?
と思わされる言動が多々あり、つまりは普通の学校教育のハマるタイプではなく、でも友達も多く、勉強も大好きであるが、彼を理解するために、私はスティーブ・ジョブズの伝記をで中古で買って読んだという、思い出のある彼である。
そして、人のことを、ジョブズ、ジョブズと思っていたら、もちろん天罰が下った。(笑)
あの、なんて言うの?16パーソナリティ診断をしたところ、なんと、私は「指揮官」タイプ。よく似た人の代表格は、なんと、スティーブ・ジョブズとサッチャー首相。
人のこと言えんやないか!?
ということで、彼と私が同じタイプであると自覚するに至ったのである。
私もお仕着せの勉強ができない。
自分で勉強したいタイプである。
彼の気持ちがよくわかる。
彼は、私のことを、
欲望のままに生きている・・・。
と言った。そして、先日、こともあろうに母に、
あんた、結構やりたいように生きてると思うわ・・・。
と言われてしまったのである。
この、やりたいようにやっている、という表現の指す私の言動の中身を知りたい、と思ったら、なんと、
私が思うときに病院に行ってくれない・・・。
ということだったようである。(笑)
要するに、私に何かあったら大いに悲しみ、もしかしたら後追いするかもしれない人間もおり(なわけないやろ?と思っているが。)、困る人もたくさんいるというのに、いったい何しているの!?ということだったらしい。
そういうところがやりたいようにやっているらしい。
確かに、先日、あれこれ片付けていたときに、
ああ、好きな本読んで、好きな絵見て、好きな音楽聴いて、もしかしたら結構好きなことしてきたのかなあ・・・?
と喜んだ。今仮に死んだとしても、個人的には思い残すことなどない。
と先日の乳がん騒ぎの時に思った。
それに、もし何かあって入院となって、仮に手術になるとしたら、サッサと切るだけ。その後は仕事できるでしょ?と思ったという不謹慎さであった。
せっかく母に私のところに来てもらったのに、申し訳ないという、あの一瞬の、しおらしい反省はどこへやら、母は私の言動を困ったものだと思って見ているようである。
いやいやいやいや、どうってことなかったのなら(可愛い先生にお目に掛かれる機会が増えただけ。どうも可愛い女性に目がない。一瞬、男性的なお声を出されたところ、胸キュンものだった。ああ、カッコいい!)、それなら、もっと役に立てる仕事がしたいと思うのが人情である。
もうやめた。
きっと体力が続かないだろう、とか、どうやってやるねん!?だとか。
やりたいことは大きく三つはある。いや四つ?
そのうちの一つにすべてが大きく集約される。
おそらくは個人的なしあわせとかいうものとはちょっと遠くかけ離れている。
もし体力がないなら、栄養や睡眠の最適な在り方を模索し、何ならトレーニングをすればいいだけのことである。
たった一つの大きな目標のために、今までやりたかったことをすべて使ってみよう。大好きなことで誰かの役に立ちたい。
そのことを追求してみよう。