やり過ごすということの大切さ
もしかしたらこの素敵な恋を表すようなお写真を、私のこんな内容の記事に使わせていただいていいのかな?という思いもありながら、このなんとも言えないブルーに惹かれて使わせていただきたくなりました。
おそらくは人生の中で、もうどうしようもない時期というものが存在するのではないかな?と不意に思ったのです。
最近出会った?方のとんでもなく背負われていることをひそかに知ってしまい、どこかでちょっとだけ感じていたとは言うものの、どうしてそれほどまでにひたむきに熱心にご自分の仕事をすることを重ねておられるのかがわからなかったのです。正直、今までその仕事というだけでなくて、どんな仕事においてもそこまでする人を見たことがなかったのです。
仕事の仕方としてはある意味理想形。
私も若いころは完璧な仕事をどこかで目指していました。
自分で言うのもなんですが当時は本当に完璧主義でした。
それを貫くことができないから、できない自分を責めてどこまでも完璧を目指してしまいます。
そんな私の目に敵う仕事をされる方はどこにもおられませんし、教師という人の心と付き合うような仕事をしていたらなおさら遊びの部分が大事です。それを指摘し、私がもう少し楽に生きることができるようにしてくださった方もいらっしゃいました。
どうしてそんなに完璧でありたいと思ったのか?というと、どこか心に空洞があったのだと思うのです。
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』と最初に読んだのは大学2年の頃でした。あらら、超絶忙しい時期でした。いったいどの時間に読んでいたのだろうか?その作品についての講義があるというので、2回生時に受けて単位を取った文学概論の授業をほかの必修の授業を抜け出して聴きに行くほどその先生の講義が好きでした。だからとんでもなく忙しかった2回生。
でも恋愛もし、部活を1回生の時とんでもなく頑張ったので、ある程度それでいいと思っていたのか1回生時よりも2回生の演奏会前の取り組み方はちょっと違いました。その分どこかに学問への偏りが強くなっていました。
そもそも人の中にいるより自分で勉強する方が好きでした。
付き合わなければならないのに、それを嫌がる自分と闘っていたような気がしています。
そしていろいろな事情もあり、おそらくはそれが自分の正直な気持ちに添ったものだったのでしょうが3回生になる頃に辞めました。
教員になるためにしっかり学ぼうと思ったのです。
そもそも内向きな自分でした。
その頃付き合っていた人が就職して地元に帰ったことが原因にも見られても仕方がなかったけれど、一生懸命に悩んで出した結論として、しっかり勉強していない自分というものがあったのだと思います。
それはときもタイミングも味方してくれて、そう思うような要素も並んできます。
そして、その時の決断を今でもそれでよかった、と思っています。
話が相当ズレました。
『カラマーゾフの兄弟』の三人兄妹のうち、私はどうしようもなく真ん中のイワンに惹かれました。
彼が周りからの愛に気付けず、勉強にのめり込み、堅物と言われ、長男に、墓場だったか、とんでもなく堅物という表現をされます。
それでもイワンの気持ちに教官しかありませんでした。
ある精神科のお医者様によると、3兄弟は、人の中にある、そう誰にでもある部分を体現させた人物たちだと言うことができるそうです。
だとしたら当時の私はイワンに一番近かったのでしょう。
享楽的なドミートリ―、純粋無垢なアリョーシャ。
確かにそれぞれに自分の中にあるように思います。
もう何十年も前に呼んだっきりになっているので、詳しい考察をすることはできません。印象でしか語ることができません。
そんな時代も経て、私はありとあらゆる経験をされてもらう機会があったと思います。
合理主義に徹したかった若いころをイワンのように思うこともありますし、幾分友人たちともあれこれ会った時代を享楽的あったとも思えますし、周りからは純情に思われている節もありました。
さてさてどれが本当かなどわからない。
それにしても、人生が全く膠着状態で、退くことも前に進むこともできなくなったように感じるときがありました。
もう何にも動かない。無風状態に近い。
何か動いても虚しく空回りするだけ。
多分に人間関係的なものもあったろうし、噂とか陰口とも絡んでいたのかもしれません。とりあえずその時間をやり過ごして、どこかに突破口が開かれることをいつかそういう時期が来てくれることを期待するだけ。
よりよい自分になろうとほんの少しずつでも努力しているけれど、なぜか認められもせず誤解ばかり受けているような気もする。
若いころはそういうこともあったな、と突然に思い出したのです。
最近の出会いにそういうことを思い出させてくれる出会いが多いのかもしれません。
ただただ、目の前のことを自分にできる範囲でやる。
とりあえず一生懸命ではあるけれど、その出来とか、周りの評価とか、何か実績めいたことはとりあえず横に置いておく。とりあえず自分なりの一生懸命。そうすることが自分詩人の人生への敬意であるかのように、もちろんあきらめはしないけれど、とりあえず淡々と、あるいは粛々と。
そのうちそうしていると波も立ってきます。動きが出て来る。
人生捨てたものではないはずです。
しんどいときは誰にでもあります。
漢文の世界には、人生の後半戦でとんでもなく出世しエリートと呼ばれるようになる人々が、なぜ前半戦にはあまりにもひどい人生を送るのか?それをならして、なんとか前半戦の苦労をもう少しマイルドなものにできないものなのか?という疑問を文章にしたものがあります。その考察として、天の考えとして、行く末の重責に耐える力をもたせるためであるけれど、それは本人のためだけではなくて、国家の人民のためにそういう重責を耐えられる人物にしているのだということでした。
それに、人というのは順境の時にその人の本質はわからない。逆境の時にどうであるかがその人の本質だから、そういう人を見抜くため、というものもありました。
逆境を見事にやり過ごしている人を見ると勇気が出ます。
この人、順境になったときには素晴らしいだろうな、と。
ご本人は苦しいのだろうけれど。
だから、私は、人が辛い思いをしているときに、かわいそうという言葉を使うことがためらわれます。
それはその人の立派な試練で、もしかしたらその人を立派にするために起こっていることなのかもしれないから。
それに、どこかそれを予想させる何かは感じているもので、ひとかどの人はちょっとした、いえ相当な逆境の時も数年したら見事に乗り越えている、というようなもので、逆境オーライなところもあります。
とはいうものの、できれば人のしあわせを見ていたい。
ましてやそうそう嫌いでない人にはしあわせであってほしい。
心の底からそう思ってしまいます。