親といてしんどいという件について
まあ若いころから親といてしんどいということは自覚していた。
が、自覚はしているが、なぜそうなのか?という話をしても、当然のごとくご本人たちにはわかってもらえない。
私が毒親ではないか?
と自分のことを気にし始めたころ、ちょうどその時その場にいた卒業生が、
自分を毒親かな?と思っている時点でそうではないですよ・・・。
と、持ち前の頭の良さで言ってくれたが、その後、心理学的な考察をあれこれ読むうちに、同じことが書かれていて、
ああ、そうだったらいいなあ・・・。
と思っている。
いまだに母は過干渉である。
何時に帰ってくるの?
明日は何時から?
今日のお夕飯は?
○○しないといけないんだけど?
細かく聞かれるので、積極的に合わそうと決意して、腹をくくって対応する
か、ときに何かをきっかけに爆発するか?である。
私の性格上、合わせ切ってみるというのを何度もしてみるが、たいてい破綻する。
私の体調が悪かったとき、子どもたちがまだ小さかった頃に手伝いに来てもらったことがあったが、それをどうとも思っていなさそうではあるが、子どもたちも、というかあっちこっちギャングエイジよろしく遊び歩いていた息子は、これをやられていたらしい。
何時に帰るの?
おばあちゃん心配だから・・・。
そんなもの、遊びに夢中になれば時間を忘れることもあろうし、徒党を組んでいたずらをするのが彼らの使命。また、それが許される世代である。
まあ、私の場合、遅くなれば電話して、車を出せばいいという思いもあるが、それよりも自分の子どもがしっかりしていることの信頼と、何かあっても自分で対処できるだろうという安心があった。
親など、子どもたちがしでかしたことを後から謝って歩くことくらいしかできない。
失敗する権利もある。
かつてまだ結婚前に、そう就職して二年目に、金沢にいた夫に会うために、京都からサンダーバードに乗った。
隣に座っている女性が話し掛けてこられた。
福井で降りるとおっしゃるその方は、
金沢までやったら遠いねえ・・・。
と言ってくださった。
それから、貴重品を運ぶ運送屋さんをされていること。
旦那さんがご病気で、ご自分がお子さん二人を育て上げたこと。
そしてお二人とも教員養成課程をもつ難関大に進まれて、お兄ちゃんは教員になったこと。弟さんは違う方面で挑戦してみると言っていて、それはそれは頼もしそうなお子さんたちだった。
そのお話の中に、
私は子どもたちは自分でこけさせて、自分で立ち上がらせてきた。ちゃんと自分でこけないと、痛さが分からないから、成長しない。
とおっしゃったことが忘れられない。
ちゃんとこける。自分でちゃんとこける・・・。
子育てを立派にやり遂げたご自分へのよくやってきたという思いがおありだったのだろう。確かに、誰かのお話をお聞きしても、それが一見良いことのようであっても、どこか違和感が残り、ちょっと違うよなと思わされることもあるけれど、その方の子育ては、
すっごいなあ・・・。
と心底思わされ、感動させられた。
生徒を指導していても、どこかこけないように、と指導していたような気がする。
その方が福井で降りられる直前、私はやらかした。
お姉ちゃんは学生さん?
よれよれのポロシャツを着てデニムのパンツ。メイクもいい加減。
これでは勉強ばっかりしている地味な学生にしか見えないだろう。(笑)
若かったんだろうな。
正直に答えてしまった。
私も教員です・・・。
なんで?なんでそこで、
そうです・・・。
と学生に成りすまして、その奥様の武勇伝を完結することができなかったのだろうか?
なんでも正直に答えることが美徳だとでも思っていたに違いない。
それから、娘の里帰り出産を控えて、一度実家に戻って婚家に帰ろうとした時にも、隣に座っておられたご高齢のご婦人から話し掛けられた。
独身を貫き、お一人住まいで、京都に言ってこられたとのこと。
弟さんは、京都でおしゃれなことで有名なD大学の学長さんだったらしい。
奥さんは旦那さんと二人?
と訊かれて、
いえ、夫の両親と同居してます。
と言った時からお顔が曇られたようだった。
その代わり、私が都会から嫁に来ていることを聞いた周りに座っておられたおばさま方が、親しんで、
奥さん、奥さん・・・。
と話し掛けてこられた。
その時のことも、私はバカだったなあと思い出す。
嘘ついておけばよかった。
なんでも正直に答えるから!
それから、夫の両親が結婚式に出席するために東京に出掛けた時、夫と二人で思い切り朝寝坊をし、その夜は海辺の町の割烹に連れて行ってもらった。
そちらはお値段的にも優しいところで夫にとっては馴染みのお店だった。
最初に勤めた支店の近くにあったから。
そちらの大将が、あれこれ素敵な話をしてくださった。
忙しい生活の中でも、絶対に朝ご飯だけは家族全員で食べると決めていたそうである。
そして大学に行く時間が惜しいとおっしゃった息子さんに、あれこれ伝えるべきことを伝えた挙句、その息子さんは立派に修行され、
大学出た奴らを、俺が指示して働いてるんや・・・。
と誇らしく言っておられるという話をされた。
その話からも子育てに大事なことをたくさん学ばせていただいた。
実際に、血の通った、その子を思った子育てをしてきた方って、分かる。
仮に自慢話になったとしても、よくやった自分を誇らしく思い、しっかり社会に出ている子どもを嬉しく思ったとして何が悪いだろうか?
それよりも、偏差値の高い大学に行きさえすれば、話を聞く誰もが羨ましがるはずだと、ドヤ顔で話される方が辛い。イタイ。
偏差値の話なら嫌というほど知っている。
一番高いところに行きたければどうぞ。
でも、それで子育てがまっとうしたと考えられるほどには子育てなんて簡単ではない。
人から見ての結果と、その内情とは、一致しないことも多い。
そんなこと私は高校の時から知っている。
それよりも、子育ての、血の通った失敗も含めた、温かい話が聞きたい。
そうそう、息子はどうも、おばあちゃんにうるさく言われていたらしい。
母方の方のおばあちゃんも、父方の方のおばあちゃんもうるさいには決まっているが、そのうるささは違う。
二人の共通点は、依存?
子どもを自立させる気がない。寄りかかる相手として存在する。
婚家の場合は夫だろうし、実家の場合は真ん中の私であろう。
何でもしてもらう相手として考えられているところは、夫と姑の関係にあれこれ言う資格もないというところだろう。
私は今、しんどい。
不自由な感じがしている。
これって、介護にまつわるだけのものではない気がしている。
私が寂しいのは、母たちがいつも、何かあると、すぐにその周りの人への心配をするのではなくて、すぐに遠い自分のことへの心配になるということである。それからいつも悪いのは周りの人であり、自分が悪いと反省しているのを聞いたことがない。
私は小さいころから、母の、自分の母や兄たちに対する気持ちや情けない気持ち、苦労を聞かされてきた。
高校くらいから、そのことを聞かされることが相当な苦痛だということに気付き始めた。
私が聞いてほしくて、自分の悩みやしんどいことを話し始める。
そうすると、それは聞きたくないとばかりに、自分の苦労話を聞かされる。
その時の絶望感たらなかった。
心の中からごそっと何かが落ちるような感じがした。
その後も、何か辛いことがあって、母に話そうとすると、
そんなこと聞かさんといて・・・。お母さん、しんどくなるから・・・。
と言われて、何度拒絶されたことだろうか?
私は子どもたちのしんどいことは、私の知らないところでのしんどさは、それに対してすべて対処できるわけではないし、またしてはいけないこともあろうけれど、知っておきたい。
そして、これは自己満足かもしれないし、母親としてよくないかもしれないけれど、子どもたちよりも自分が苦労していたい。
自分が大変で、子どもたちがおもいきりしあわせなら、別に構わない。
神様と契約してもいい。
私のかわいい子どもたちがしあわせになるなら、私をもっと苦労させてもらっても大丈夫ですから。
それは母親としての弱さかもしれない。
ちゃんと自分で苦労する権利もあるだろうから。
だからそれは良くないことはわかっている。
でも、そう思うくらい許してほしい。
それに、私の甘いところは、生徒たちには志があるなら、無理な勉強もすることをそうそう止めはしない。
でも、自分の子どもが熱烈にそのことを思うのでなければ、猛烈な勉強などさせる気はそもそもなかった。
ちゃんと睡眠時間を取ってほしいし、おいしいものを食べてほしい。
友人たちと楽しい時間を過ごしてほしい。
それだけ。
私は相当身勝手な母親である。
でもそれでいいのである。
私は自分の子どもが可愛い。
だから、この子を思い通りに育てておけば・・・、という思いなど全くなかった。
舅に、娘がお腹に入っていた時に、夫と一緒にお茶しに行ったその先で、
おわに任せといたら、いい子ができる。
一生親の言うこと聞くいい子が・・・。
と言われて唖然とした。
それから、
子どもたちが親から離れていこうとするのを、ジーッと離れんようにずっとそばをくっついていくのが親の仕事やと思う。
と言われたときには、びっくりした。
子どもたち自身の人生はどうなるのだろうか?
子どもは親の所有物ではない。
親の望みよりももっともっと素晴らしい人生を送る権利がある。
そこまで実家の母は言わない。
でも、姑の話を私たちにする夫の姿を見ていても、とりあえず自分の苦労話など子どもにするものではないなと思う。
解決済みの苦労なら、それは乗り越えた話として素晴らしい。
でも、恨みつらみ、愚痴などは、
私がしあわせでないから、あなたもしあわせになってはいけないのよ。
と言い続けているようなものである。
それに、○○してくれん・・・。
と子どもに言い続けるってどうなんだろう?
私は小さいころから、
○○してくれへんやん・・・。
と言われてきたことが今でも頭の中に響いている。
私は娘や息子に、そういう表現はしたことがない。
子どもにしてもらおうと思うことが私にしてみたらおかしな話だし、もししてもらうとなれば、きちんとその旨頼まなければならない。
私は母にとっては、よく言われるところの、
娘
である。一人格ではなさそうである。
というより、母娘逆転の、親に近いかもしれない。
親が子の面倒を見るのは当たり前。義務も義務。
ちゃんと面倒を見なければならない。
でも、大人が誰かに面倒を見てもらうのは当たり前ではない。
頭もしっかりしている人なら、当然ではなくて、ちゃんと相手がしたくなるように、言葉を尽くさなくちゃ。
私は夫にしても子どもにしても、自分の思い通りに動いてくれるなどと考えたことなどない。
人は人。全く違った考え方をもっている。
してほしいことがあったら、ちゃんと言葉を尽くすべきだし、なんぼ言うてもしてくれへん、ではダメだと思う。
してくれることよりしてもらうことばかり言ってきたような気のする母。
おばあちゃんとの関係が影響しているのだろう。
私が何か言うと、
なんぼ言うても○○してくれへん・・・。
と言われる。
夫は若いときから偉かった。
家の親がそんなんで済むと思うか?
という一言で、何でも親の言うことは服従である。
その一点で、私は大いに尊敬してしまう。
私なら、おかしいと言ってしまっているところである。