いろんな立場の自分について、つらつらと・・・。
昨日、私が、心理的にほぼほぼストライキを起こしているという話を書いた。
掛かりつけの先生との話で、この人は最近、絶対に私の味方をしてくれないのであるが、その中で、言われた一瞬、ちょっと以前とニュアンスが変わっていることに気付いた。
親しくお話していただいてきた数十年。
なぜに?というくらい本音もお聞きしたし、まあ言ってみればなんで?と思うほどの弱音?めいたこともお聞きした。
それこそ、そんなことよそで私が話したら、まずくないですか?とも思ってきたくらい、私は信頼されているらしい。
先生の前では、先生の奥様もそうならしいけど、遠方から嫁いできた身。
おまけに私など婚家が、ある人曰はく、
○○中であんな大変な家ないんと違う?
と評され、挙句の果てに、
できるだけ近づかん方がいい。
とまで言われたので、かなり変則的な生活をしてきたこともあった。
だから、世間話レベルであっても、先生の前では私は相当な弱者だったらしい。そういう時代もあるにはあった。(笑)
しかし、先生が愕然とされた瞬間をいくつか知っている。
友人たちが言うところの、ぽわーんとした嫁は、いきなり働くと言い出し、何をするんですか?と訊かれて、
高校の非常勤講師です。
と言った時の相手の驚きを私は当然予期しもし、見逃しもしなかった。
わかってるって。
このぽわんとした顔にその手の仕事が似合わない。
しかも夫の業界に、元そっち系の職業の人は極端に少ない。
まあ、キレイ系の人たちが大半を占める中で、そういう地味系で、男性と一緒の仕事みたいな人は少なかった。
だから、夫の仕事からも到底想像できなかっただろう。
まあ、言ってみれば素朴な若いママ。しかしときに専門的なことをお聞きして、
えらい専門的な話を・・・。
と初対面の時から言われていた。
私はこの初対面の時が一番素である。
なぜか?
どの先生にも長く診てもらうという思いがその時にはないからである。
私は、自分の不調を、ある日雑誌で読んだ誰も知らなさそうな、まだ認知されていなさそうな、どうってことのない不調だと思って、
絶対にそれだから、何とかしてください・・・。
とでもいうかのように受診したのである。
かつて旅行代理店にお勤めの大学の先輩のお話(就職説明会)をお聞きしたことがある。
添乗員としてお客様とご一緒するときは、初めての時は、「一回だけ来たことがある。」という顔をしなさい。
とのことだったので、その時、先生が、
あなたで二人目。
とおっしゃったのは、おそらく初めてのことだったのだろうと思う。と後で気付いた。
自分でも大したことはないけど、子育て中にちょっとした不調があるのは、本当に辛かったのだった。
それなのに、その症状のことはさておき、なんでか、いつの間にか掛かりつけとして通い、あれこれお話もし、お聞きもしてきた。
その関係性において、確か患者と医者のはずなんだけど・・・?と関係性に悩んだこともあった。
定義に入らない。
そのうち、その定義にはめる必要もないと思い始め、使い方を変え、でも母がやって来てあちこちの受診に付き合っているうちに、
私の受診の仕方が間違っていたのだわ・・・。
と勝手に反省し、行ってはならぬという面と、ちゃんと医療行為を受けるために行こうね?と思って足が遠のいていた。
ほかのところに行くと、割と真面目に自分の身体と向き合っている気がする。
でも、そういう堅苦しいことは言わないで、必要な時にはまた話しに行ってもいいではないか?という気もしてきた。
だいたい私は堅苦しいのである。
というより、これは初任で働いた学校の周りの先生方やあれこれの人たちのせいである。
それまで共学で育ち、男も女もない環境で育ってきたのに、いきなり
女性なんだから、男性との間にちゃんと境界線を引きなさい・・・。
と周りからうるさく言われ、
淑女でないとダメ・・・。
みたいな、奥様が一番偉いみたいなところで働いていたので、
あなたは危なっかしい・・・。
と言われ、奥さんになってからは、男性とフランクに接してはいけないと思ってきたのである。
だから、先生との話が、私は重荷だったことがある。
自立したいと思ってきた。
遠い土地で、心許せる人もいないときに、まあ感覚的には、ちょっと年上の従兄のお兄ちゃんとしゃべっているみたいな(お医者様、ごめんなさい。)感覚だった。
そうそう私には、大阪に、生まれた時からこぶたのまゆみを、この上なくかわいがってくれたいとこのお兄ちゃんと、何かと言ったら気持ちをわかってくれた叔父がいた。
だから、それ系の人である。(笑)
そうそう、昨日、
お母さんは、あなたのことをものすごーく頼りにしていて・・・。
というくだりである。
おお、先生から、私が誰かから、めっちゃくちゃ頼りにされているという表現を聞くときが来るなんて!
であったのである。
あれ?どうしたん?
もしかしたら私、認められてるん?
と思ってしまったのである。
まあ、もしかしたらその病気?という病気だって、検診で診てくださった先生も、昨日の先生も、
まだ症状がないから・・・。
とのことだったから、今すぐどうってことがないからだろうとは思う。
でも、どこか、何十年の間、先生から、こんな風に、しっかりしている風の認められ方をしたことがなかったのである。
それから、先生の知らないところで、県の大きな集まりで、ある担当をさせていただき、その場で知り合った大学の先輩と絡んで、実は、仕事以外にもあれこれやっていたことがあった。
先生は意外そうで、つまりはよそから来た小娘がそういうことをやっている、つまりは自分の知らないところで、ということらしく、落ち込んでおられるようだった。それは図書館絡みで、ちょっと話しただけで、
それは、○○市図書館の話?県立図書館の話?どっち!?
と叫ばれたことがあった。イライラしたヒポコンデリーである。(笑)
すみません。私が診断してはいけない・・・。(笑)
いったい仕事と試験と、それ以外の活動と、お前は何やっとんじゃ!?とでも言いたそうだった。
かてて加えて、
音楽活動、復活させようかなー?と思って・・・。
と言った時には、
そんないっつもぴょんぴょん飛んでばっかりせんと、ちょっと落ち着き・・・。
と、結婚式のスピーチで、主賓の先輩に言われたようなことを言われた。
いっつもどっちかっていうと味方してくれた先生が、どうも母よりの回答をなさる。
これに、経営者としての私をちょっと認めだして、あちこちであれこれやっているくせに、お前はいったい何を言ってるんや!?というニュアンスを感じたのである。
そうそう、昔から私はやっていることのわりに、愛されたがりである。
先生と言って立てられるよりは、目上の人から可愛がってもらう方が嬉しい。
そのことを、先輩の先生が、スナックの女性と楽しく会話していた私のことを紹介するのに、
この人、まゆみちゃんでええでー。先生と呼ばれて喜ぶタイプと違うから・・・。
と言ってくださり、もう一人の思い切り若手の美人の先生にはずっと先生を通しているのに、私にはまゆみちゃんと呼んでくれて嬉しかった。(笑)
きっと先生の前では、まゆみちゃんをやっていたのだろう。
でも、先生は私の仕事ぶりを垣間見て、いや、垣間聞いておられた時期もあるから、どれほどやんちゃして、のびのび仕事をしていたかということはご存じだと思う。
それに、よく、言ってくださった。
あなたはどこで何言ってもいい人やから・・・。
と。
つまりは、そうそうおかしなことは言わないということだったのだろう。
それなのに、超絶身近な男性たちは、私がおかしいとおっしゃっていたこともある。まあ、メンツの問題かな?
ただ、地元の文学の会で、名士の奥様方の集まりの中で(名士でなくても入ることができたので、私も在籍していたわけだけれど。)、ちょっと目をつけられてしまった時には、
それは僕、何も言えんわ・・・。
と怖そうにされていた。
ということでしばらくして辞めた。(笑)
そう、昨日の話。
先生の口調。
お前が何そんなことで悩んでんねん?
と言われたようで、経営者しておられるほかの女性を思い浮かべてみると、そんなこと、もうとっくにどっかにやっておられるような気がする。
私はその点、まだ弱い。
母や父の愛情が・・・、とか平気でやっている。
目上からの愛情が欲しい人間である。
昨日はあれこれ考えた。
めっちゃ頼りにされている自分と、かつてもっとかまってもいたかったり甘えたかった自分と。
そうして客観的に見て、私がそんなことで暴れているところを想像されたら、めっちゃくちゃおかしいやろなと思ったのである。
娘には、中学時代、不登校の友人について、
ねえ、ママ、○○救ってやって・・・。
だって、○○先生は、「先生は高校の先生やから、中学生のことはわからんから、あんたたちでやって、って言うけど、ママなら、生徒の中に入っていくでしょ?」
と言ってくれて、その当時から、どうも母としてはどうかはわからないが、教師としての私はどうも信用があったようである。
教師と経営者しているくせに、でも、母には労わってほしいのである。
母は、この娘はしっかりしていて大丈夫と思っているのである。
おそらく、高校に入学したころに、母と私の精神的立場が大いに逆転してしまったのだろう。思えば母の言動で、私は思われていないと思い詰め、ときに心の中から何かがごそっと抜け落ちるような気がしたのを思い出す。
私は甘い。
まだまだ経営者としても教師としても甘い。
何かに依存しているところがある。
それを、数年師匠と思って学ばせていただいていた先生にも指摘されていた。
たくさん勉強した。本を読んだ。
でも私は甘い。
誰かの思いに依存しようとしているだけ甘い。
そんなこんなを思わせてくれるような、先生の口調だった。
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