真っ直ぐしていると言われて困っていたくせに・・・。娘の命名について
結婚してすぐにお義父さんが、
ー真弓さんはまっすぐした娘や・・・。
とおっしゃったそうです。
どうもお義父さんが見て来られたお嬢さんたちと私はどこか違っていたようでした。
それまで、結構まっすぐしていることを嫌がられていたのか、周りにあれこれ言われてきたので、自分がまっすぐしていなくて、結構ねじ曲がった性格なのだろうと自覚していました。
地方から出てきた学部も部活も同じだった、4年間ずっと喧嘩ばかりしてきた男子からは、
ー俺の知っとる女の子とちょっと違う。中性的というか・・・。
と言っていたし、京都出身の男子からも、
ー僕の知っている女の子とちょっと違う・・・。
と言われていました。
おそらく私は正しいか正しくないかが相当に大事なタイプだったので、何かにうまくやってやろうという気持ちがなかったのだと思います。
だからか、当時はある意味女性的なところが欠けてきたのか、女性と男性を区別する発想がないところがあり、男子といる方が楽だと思っていました。
高校が相当変わっていたと思っていたので、それが原因かな?とも思っていました。
高校のせいで私の性格が良くない方に変わったような気もしていました。
結婚してから周りからの評価が変わったのを感じました。
夫の後輩は、
ー奥さんが誰かと対立するような人だとはとても僕には思えないんです。
と言われました。これは両親と別居に至ったときのことです。
これって、あなたが何とかしなさいよ・・・、と暗に言っておられたと思うのですが、当の夫は、
ウチのでもダメやから、同居はやめとけ。
となったようでした。(笑)
違うでしょ?
結婚して1年足らずで娘が生まれました。
里帰り出産をしていた私のもとに来た夫の言う通り、大阪で決めていいということだったので、何も考えずに付けました。これは夫の気遣いで、後で相当大騒ぎになったらしいのですが・・・。
卒論で扱った上田秋成の『雨月物語』やエッセイである『胆大小心録』にもあった秋成の漢籍からの影響を受けた思想的なものが心に残っていたので、その中から、引用させていただいた、言葉の意味もあり、名前を付けました。
その原点について、次の記事で書いてくださっているのを読みました。
この方の古典についてのお話をいつも楽しく読ませていただいて、あれこれ本も教えていただいては読ませていただいているのです。
まっすぐ育つ麻の中に育ったら、曲がって育つ蓬でさえまっすぐ育つ・・・。
母が、私を真っ直ぐした子になってほしくて、まゆみという名をつけてくれました。母にしてみれば、これも漢文読みで、レ点を付けた読み方にしたようで、
弓矢のようにまっすぐした子に育ってほしい。
と思ったそうです。
『伊勢物語』を読んで初めて知ったのですが、檀という木から作った丸い弓をを真弓というのだそうです。
檀というのは、私の生まれた5月に白い目立たない花をつけるのだそうです。
母は私が生まれた新緑の季節をとても愛してくれていますし、私も母と同じく息子が9月に生まれたのもあり、初秋の頃が大好きです。
そして、最近知ったことですが、母が知らなかったけれど、私を弓矢に喩えるなら、真弓の原材料である檀の木は、5~6月頃に白い目立たない花をつけ、そして秋に美しい可愛らしい実を付けるのだそうで、私はますます好きになりました。
とはいえ、弓矢のようにまっすぐしたという性質は本人には辛いものがあります。
今までお二人の人に同じことを言われました。
当時は本人はピン!と来ていなかったけれど。
ーあなたを見ていると、意地悪なところが全く感じられない。
それだけのことされてきて、もっと意地悪になってもいいのに、もっと自信持ってもいいよ・・・。
これは92歳のおばあちゃんから。文学の会で知り合った素敵な方です。
そして、長年私を助けてくださった、メンターとも言えるからにも、
ーあなたみたいなまっすぐした人、今時もっと自信持っていいよ・・・・。
と言われました。
ーなんで私がまっすぐしてるって、わかるんですか?
とお聞きしたら、
ーそんなん、話聞いてたらわかるやん。
と言われました。
この方は、私が周りに言わないこともあれこれご存じなのです。(笑)
一度手作りクリスマスケーキとチキンを焼いた話をしたことがあって、周りの対応を話して、その方は胸塞がれてしまわれたようでした。
最近はそれこそ自分で開業し、こいつはなかなか食えんな・・・、くらいは思ってもらえていそうですが・・・。いや思っていただきたいって!(笑)
なんだかちょっと経営者同士として話してくださった瞬間を覚えていて、そこだけ拡大解釈して、
おー、成長したなー!
と思っていただいていると信じています。いや信じたい。
それでもそのとき、おっしゃったのです。
ー真っ直ぐしてる方が生きて行きにくくはあるやろうけど・・・。
そうなんです。そうなんです。
どこに行っても長いものに巻かれるということができない。
それができたら私は今でも学校現場にいただろうな、と思っています。
それを、だから私は教師失格と考えるのも一方だろうし、だから開校することになったのだから、そっち方面で人の役に立つんだ!ということも言えると思います。
学校現場は大好きでした。復帰してからも。
生徒たちは懐いてくれるし、国語の授業をしていればしあわせで・・・。
こちらが誠意で接すれば生徒たちは応えてくれます。
愛すれば愛されるし、だからたまにどこかで会ったら、私の子どもたちを本当にかわいがってくれました。
私も可愛かった。生徒が本当に。
その生活の背景までもが愛しくて、自分が子どもたちのお誕生日を祝うためにあれこれ作っているときやプレゼントを選んでいるときも、つい生徒の親御さんのことを思ってしまい、
大事に思う親御さんが一人ひとりにはいらっしゃるのだから、より生徒さんたちを大事にしなければ・・・。
と思わされるというものです。
正しいことが大好き。筋の通らないことは嫌い。
でいて、夫の仕事がらみは長いものに巻かれてなんぼの世界。
そして、教員だってそうです。
それなのに、退職して1年も経たなかった頃に生まれた娘にまたもややってしまいました。
麻の字をつけ、そもそもがまっすぐしている麻に、自分の一字をつけ、どんだけまっすぐ育ってほしいんやー!
と思わされる名前を付けました。
名前をはっきり言うというのは、『万葉集』にあるように、告る、という言葉で名乗ることを表すように大ごとで、気になる人の名前を言うことさえ憚られるような気がして、私は最近、名前を言うということにとても神経を遣います。言ってしまえば名乗るということは自身の一部を相手にどこか差し出すようで・・・。
私の付けた名前の生かどうかわかりませんが、父親をして、
あいつは竹を割ったような性格やから、人とぶつかることもあるって・・・。
と言われるような娘です。
なんであんなことを考えてしまったのだろうか?
もっと柔軟で、融通が利いて、長いものに巻かれるようなことができることを願う名前を付けるべきだった・・・。
そして3年半後、今度は息子が生まれました。
今度は分家して3代目の息子に、初代のお父さんの一字を入れるという難題を振られました。
最初は少しばかり抵抗しました。
だって、その字は今時流行らない・・・、とその当時でさえ思いました。
今大騒ぎのジャニーズの少年隊の錦織さんの名前の一部にはなっていますが、そんな道徳的な一字を誰も使わない・・・。
あああ。
ところが実家の父が、
そういうことは言うことを聞いておくものや!
と言ったので、仕方なく辞書と首っ引きでもう一字を探しました。
そこで、娘の一字を付けてみたら、非常に画数的にもよい。
これはイケる!
音韻的にも響きがいいし。ただ幾分、一時の古めかしさが弱まらないし、軽い感じもする。
そこで、同じ音でほかの漢字を当ててみました。
そうすると、詠嘆形で、
ああ、なんとすがすがしいことよ・・・。
という意味になりました。
ところが、その一字は、母校の高校の、一学年上の、
I高校始まって以来の秀才
と謳われたけど、私は超絶合わなかった先輩の一字でした。
この、頭が良い、というところだけいただこうかどうかと思いましたが、それよりなにより、その形と言い、意味と言い、音韻的なところと言い、あまりにバッチリなので、その先輩のイメージはもう放っておいて、妥協に妥協という感じで、まあ一字もらうだけやし・・・。いや、先輩のと限定しなくてもいいやん。ただ、年賀状を見た人は、
ああ、○○先輩の一字をもらったんやろな。
と思うやろなあ・・・。まあ、だけど勉強できるんやしいいやん・・・。
と思いました。
この子は水みたいな子やな、と思ってきました。
誰とでもすぐ打ち解けるし、みんなと仲良くするのが好きでした。
いたずらっ子だったから、先生方の目には留まったことだとは思いますが、とにかく人が好き。
我が子ながら、この子を見ていると、老子の、
上善の徳は水の如し
のようです。
水みたいな子、と思ったのはずいぶん昔で、上善の徳について知っていたのか忘れていたのか、あるいは知らなかったのか、最近についてこの言葉を知りました。
赤ちゃんの頃からおとなしくて、人懐こくて、それでいて、何かあると一歩前に出てくれます。
家族の一大事、ママとお姉ちゃんのためになら、主張すること憚らない。
守って見せる!と小さい身体に力をみなぎらせて言いにくいことを言ってくれたこともありました。
娘よりも幾分柔軟で、まっすぐもしていて、もし違う姿を見せられたら、傷つきもするのですが、それでもどこにでも沁み込んでいくように、自分には相当厳しいけれど、人の弱さを包み込んでいくようなところがあります。
まあまあ、それはまあ、みたいな。
正義感が前面に現れるか、それともそれを包み隠す、あるいは呑み込むだけの柔らかさがあるか?
この二人の性格をよく似ているけれど、どうしても違うところがあることをうまく表現できなかったのだけれど、外に向かっての柔らかさということかなあ・・・、と思っています。
それにしても親というのは、自分の特性で、ちょっと困っているところを辟易していながら、どうしてこういうことをしてしまうのだろう?同じように生きて行ってほしいと思っているのだろうか?
というより、私の場合、自分がまっすぐしていると言われても自覚がなかったから平気で付けることができた名前のような気がするのです。
それでなければ、麻と蓬の話に、学生時代に惹かれるはずがないからです。
私はむしろ自分のことをまっすぐでない蓬のように思っていたのです。
どこか麻に憧れつつ。
ちなみに、夏のお洋服は、リネン製が大好きです。
別に娘とも関係がないのですが、それでもたまたま付けてもらった由来の檀という木が、花は白く目立たないのに、実の方が目立ってる、という意味に惹かれるように、麻に対する敬愛の気持ちはそんなところにも表れているのかな、と思っています。
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