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高校受験、高等専門学校受験、大学合格していく生徒たち・・・。

十年ほど前に開業し、学習塾を経営している。
それまで高校教諭に始まって、いろんなところで仕事をしてきた。
塾だったり予備校だったり、専門学校もあったし中学校もあったし、なんと大学だったこともあった。
一つのところで働いていると、人間関係ができ、何かが教えられると分かれば、

先生、お願い・・・。

と依頼されること多数。

特に専門学校と大学は、かつての同僚が、その分野ができると知っていたからこその依頼で、開業してからのご縁だった。

今年は、受験において、なんだかおもしろい年である。
世の中の世相を反映してか、大学受験組は本当に手堅い受験をしてきた。

滑り止めの私立でもいいから、ちょっと挑戦してみない?

という風に話してみたが、

受かる気がせん・・・。

とのことで、滑り止めも完全安全圏のところだけを受験。

今まで少しでも高いところに進学したい、と言った生徒さんが多かったので、ある意味拍子抜けであるが、一方こちらが指導したことは確実に身に着けていっているのを感じる。

もちろんのこと、すべて合格してきた。

その前に共通テストでは、それぞれみんながA判定B判定で、しかも私の専門の国語は、8割、9割取ってきてくれたという、なんとも私の面子が立つという結果であった。

彼女たちは、私とさんざん数学や英語を解いてきたが、直前は、何の戦略家か、連日国語の指導を受けたいとのことで、しかも、出題された『源氏物語』の出題場面については結構語ってきたというおもしろさであった。

高校の推薦入試組については、何とか評定をあげたい、しかしご強化を今から上げるのは相当難しく、評定に反映できるほどにはいかないなと考えて、突然、直前美術と音楽について大いに語ってみたら、なんと一番成績が良くなかった生徒が2学期の期末考査の点数だけで、評定では6も上がったというおもしろい結果となり、あっさり合格してきた。

ピカソの青青の時代やバラ色の時代など、そしてゲルニカについては、その制作時期を支えた愛人ドラ・マールについてまであれこれ語った。音楽については、音楽記号をニックネーム付きで語ったり、私が中三だった時期に同様に習った歌曲を、情感ばっちりに朗々と教室で歌った。リタルダンドもばっちり!(笑)

そのおかげでかそうでないのかはわからないが、評定は6上がった。
彼は合格し、そのほかの生徒たちも美術や音楽については共に指導を受けた恩恵を被り、少しばかりのタイムラグはあったが上手に合格してきた。

もううちの塾はカオスである。
これは保護者の言である。

そして、もう一人。
冬期講習前の学校の三者面談で、あまり希望のある話としてではなく出ていた高専受験。実力を試す意味もあったのか、受験だけはすることにして、教室では県立入試に向けての指導を受け続けることにされていた。

ご家庭で過去問を購入されていることは知っていたが、そうそう現実的な話として聞いてはいなかった。
そして年明け、受験に赴かれた。
合格してきた。

もう、今年は読めない。
いや悪い方にでは決してないが、本当に読めない。

いったいなんやねん・・・。

と不思議に思っているときには、何かにすがる。
ということで、今年の生徒たちの干支を聞いてみた。
実は毎年聞いている。
高3の大学受験組はなんと早生まればかりで、イノシシばかりである。
一つ決めたら貯湯猛進な感じはある。
年内に決まった生徒たちは戌年であった。
そして中三生たちは丑年である。
どちらも何気に納得できる雰囲気はある。

かつては大方全員が早生まれで巳年ばかりの中に辰年が数人混じるという年もあった。

なんでもいい。
なんとなくの雰囲気をつかむ材料にできればいい。

とりあえずみんながそれぞれに一番いい所に収まってほしい。

京都のお友達は、吉田神社に、私は近くの射水神社と大仏時に互いの受験生の合格を祈願してきた。京都の方はお孫さんの受験である。
昨年、蹴るにはもったいない私大を蹴って、再挑戦の今年。


そういえば私の大学受験の年は大阪には珍しく良く雪の降る年で、外出しては高熱を出し、おなかを下していたりした。
寒い年だった。
その寒い冬がずっと続くような感覚でいた。
そもそも安心できないタイプだった。

高校受験はもっとひどかった。ドラマがあり過ぎた。

それに比べれば生徒たちは相当落ち着いているように見える。
内心はどうなんだろう?
15の春の受験。
この年齢で、それぞれにいろいろ考えて、自分の進路を決めていくのは、なかなかに必要な試練であると思うのだけれど。



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櫻井真弓/国語大好き!(&数学)
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