谷崎潤一郎『陰影礼賛』を読んで
昨日、もう本を読んでいないことにどうしようもなくなって、
本が読みたーい!
ということで、現代文に絡んで、なぜだったか谷崎の『陰影礼賛』を読みたくなった。
調べてみるとkinndle umlimitedでは0円であった。定価が0円。kinndle unlimitedに入っているわけではなさそうで、0円。この違いは何だろう?とは思いはするが、どちらにせよとにかく注文せずにすぐ読めて、しかもお金が掛からないとなれば、それ以上嬉しいことはない。
もちろん紙の、できれば単行本であるなら言うことはないから、中古などで単行本を手に入れられたら如くはないが、それとて数日待たねばなるまい。
ではこの方法がベストではないか・・・?
ということで隙間時間(そんなものどこにあるのだろう?)に、大急ぎで読んでしまった。谷崎大先生、申し訳ございません。
現代文の評論で何度かお目にかかり、その都度面白がってはいたが、今回は全文ということで、私はとんでもなく満たされた気持ちがした。
白人が黄色人種を差別する気分というものまで書かれてあったが、それを良しとする気持ちはさらさらないにしても、ああ、そういうことなのか・・・、と感覚的には理解できた。
一応国文科出身のはずである。
冒頭の電気が通るようになってから、世の中が明るすぎて、そのために文化的に情緒がなくなった感覚を、その当時の生活や文化の様子、変化に対する感覚的な反応が手に取るようにわかる。
そして、私は大先生に大いに共感してしまった。
生まれて幼少期を過ごした家には影が多かった。
怖ーい暗がりもたくさんあった。
そこに心惹かれる気持ちもあり、恐れもあり、そんな微妙な東洋人として気持ちを、どこから来るものなのかということも含めて描かれていた。
ああ、これが日本という国なんだな、とつくづく思わされた。
日本の文化が西洋文化に押されてすたれていくことをどれほどの哀惜の念でそのときを眺めていて、そこにちょっとその流れを止めたい気持ちが大いにあり、すっかり変化した後の日本に住んでいる私にも、その当時の谷崎の戸惑いや寂しい気持ちが伝わってくる。
私は幼いころから古いものが好きだった。
そして今でもそうだが、物持ちが良いと言われがちだけれど、長年使っているものというのがこころから好きである。
どうせならその時しのぎの物ではなくて、ずっと生活を共にしていけるようなものに思いがある。
国民性というか文化的背景というか、もって生まれたこれが馴染むというものはあるだろう。
谷崎の姿勢は、決して西欧否定でも、ただの日本文化礼賛でもない。
それぞれの特徴を語ったうえで、それぞれに馴染むものとして文化を語っている。
こういう論、スーッと心に沁みわたっていく。
先日読んだ岡倉天心の『茶の本』もそうだった。
また読みたいな。ずーっと読んでいたいな。
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