やりたいことではなくて、求められることをしてきたような気がしています。ー国語と共に。
小学校2年生でもう、母は担任の先生に言われていたそうである。
真弓ちゃんは、文学の方に才能があるから、できたらそっち方面を伸ばしてあげて・・・。
それを母から聞いたとき、国語がことさら好きではなかった私は、
なんで?算数の方が答えがはっきりしてて面白いと思てたんやけど・・・?
と答え、
それに、先生、なんか私の答え、いつも間違ってるう、言うてててんけど?
と話していた。
思えばほかにたくさん興味関心があった。
もっと女らしいと思われたこと、例えば音楽に進みたい気もしたし、割と若いころから洋服などを縫うことが好きだった。
どうも周りからそういうことを許されている気がしなかった。
高校時代、国語以外がそれほどできるように思わなかったので、自ずと国文科を選んだ。国語の教師になろうと思っていた。けど、本当に難しい時代だった。
運よく高校教諭になれたのに、アッサリ寿退職して、もう私の人生をささげよう!もう二度と教壇には立つまい、という決意で生まれ育った大阪を後にしたが、7~8年後、私は許しを得て教壇に復帰した。
それからは如何にほかのことをしようにも、したいと思おうとも、どうしても国語を教えることに戻ってしまった。
国語を教えることがやりたくない仕事だったことは一度もない。ただ、少々退屈だったことはある。
まだまだ勉強することはたくさんあるけれど、高校受験、大学受験の指導をしていて、そうそう困ることもなく、さして勉強しなくても教えられるようになったら、次に行きたくなるのは人情である。
それに国文学とも数年すっかり離されていた。
調理科のある学校に勤めたせいもあり、私はそれまで以上に料理に関心を持った。
一時は料理研究家になりたいと思い、日本料理のプロに弟子入りをしようかと思った。調理科の先生の家のお一人を家に招いて、魚の捌き方を教えていただいた。しんじょでお吸い物を作って楽しんだ。
お料理をすると、誰より家族が喜んでくれた。
特に息子などは、
美味しいな~。かあさんの料理は・・・。
と言って、本当に美味しそうに食べてくれたし、お招きする人も、おいしいおいしいと言ってくれた。
家にいて家族に料理を作るしあわせは、学校の教壇に立つのとはまた違ったけれど、なんともふんわりとしたしあわせである。
何度か違う仕事をしようか?と努めた。
かつてはピアノの先生になるためにお腹に娘がいながらピアノの先生についていたこともあった。
音楽も好きだった。いえ今も好き。
でも、結局縁のものなのか、いつも国語が私を離さなかった。
それはまるで振っても振っても愛してる、と言っていつも守ってくれる男性のようだった。いや、嫌い嫌いと言ってもいつも温かく包んでくれる母親かな?
人生の辛いとき、国語を教えていれば、それはとんでもない支えになった。
自分にとってはとんでもなく大きなことを成し遂げたのに、誰からも評価されもせず、むしろ批判ばかりされて、もうぶっ倒れそうになっていたときも、国語を教えるために教壇に立たなければならない、ということで私は自分を保った。周りがどんなに身勝手でも、国語だけは私を守ってくれた。
小学校の担任の先生の言葉を一心に信じて、
この子は国語ができるから。
本が大好きだから。
と思って一生懸命育ててくれた母の思いが、私にとっての国語には内包されているのかもしれない。まるで祈りのように。
遠くに嫁に来ることにした私を、何かあってもすぐに行ってあげられない、と心配してくれた母だけれど、何かあったら代わりにと言ったら、母が何もしてくれなかったわけではないので違うけど、でもいつも大きな存在として私を守ってくれた。
どんなに苦しくても、本があり、そして国語を教えることがありさえすれば、誰かのためになることができた。
そうして、子どもたちも、何もしなくても、なぜか詩形であっても、散文の形であっても、なかなかユニークで、ハッとするような感性のものを書くようになった。当然国語は好きだったようだ。
違う方面に行きたかったこともある。
一度などは先生と呼ばれない仕事をしたいと思ったこともあった。
こともあろうに社会科学系の科目で大学の教壇にお手伝いの形で立たせていただいたこともあった。
国語を教えながらも、一緒に一度だけれどお料理のお仕事もしたことがある。
でも、結局は国語に戻ってくる。
主宰している教室も、英語も数学も自分で教えるようになったから、国語というのがちょっと存在価値を落としてきたのかと思ったら、やっぱり、
国語を教えてもらおうと思ったら、絶対にこちらに辿り着くんですよね・・・。
と言ってお子様を入塾させようとされる方のお話をお聞きすると、やっぱり国語が大きいのだな、と思わされる。
正直、国語の力があると、英語はもちろん学習が加速するし、数学と国語はつながってるし、日本史はもう読み解くという点ではほぼほぼ同じ教科である。
私も国語のおかげで、どれほど勉強時間を省力化できたかわからないと思っている。
部活にのめり込んだ(というより、ほぼほぼ責任論で。)高2を経て、高3になったとき、一学期の中間考査の成績の伸びから、ある意味呆れられた。
それまである程度頭で乗り切っていたことがバレてしまったことだろう。
そもそも勉強をして、そのことが報われないタイプでもなかった。
これも国語のおかげ。
そして、どの教科でもいいとは言いながら、やっぱり教壇に立たせ点もらったのも国語のおかげ。教師というのは楽しい仕事である。
それに流通経済に関わる夫の仕事を垣間見ていたので、まあ、それなりに経営者的な仕事ができるのもありがたいと思ってはいる。
思えばどんな辛いことがあろうとも、国語の教師さえしていればなんとかなった。
辞書と教材が助けてくれた。
私がしてみたいことは仕事にはならなかった。
けど、私が周りからそうしてほしいと言われ続けたことは私を守り続けてくれた。
やはりこれは天職であり、適職なのだろう。
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