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恥ずかしさとの闘い

なんだか最近、今に集中できなくて、いえ指導中は全然。指導は大好きで楽しくてとっても集中しています。むしろ生徒の邪魔をしないように気を付けるくらい。私など放っておいたら、次から次へあれこれ言ってしまいそうです。

そうではなくて、家事をしているときとか、朝ベッドの上で目覚めた瞬間とか、あるいは眠っていて、起き掛けてうつらうつらしているときとか、ふっと恥ずかしさが意識に入ってくるのです。

ひとときは、なんとも言えない虚しさに囚われたこともありました。
ただ、絶対に仕事中は大丈夫なのです。

ある年、ちょっとだけ仕事が落ち着いたゴールデンウィーク。めずらしく少しだけお休みをいただいた年だったと思います。
衣替えをしていて、その年に初めて使い始めた洗剤の香りそのままに覚えているのですが、家事をしていても、居ても立っても居られないくらいに恥ずかしかったりきまりの悪い気分が沸き上がって来て、身動きできなくなって、そのままリビングのソファに座り込んで、しばらく落ち着くまで待っていました。

なにか病的なもの、というのではないのです。
それよりも・・・。
教師としてはあちこちで勇ましい?ことをしてきました。
これは絶対にプライベートではない自分です。
衆人環視の職員室でほかの先生とやり合ったこともあれば、指導方針についてあれこれ話し合ったこともあります。
こともあろうに、理事長先生がおられるのに、ほかの先生との話が白熱して、おられることも忘れて大きな声を出して、ちょっとねえ、それ違うんじゃない?とあれこれ言ってしまったことがありました。
正しいかそうでないかと言われれば、決して正しくないことはありません。正論中の正論です。
それに私に味方してくれる人もたくさんいました。
おかしなことをする人がいるから言ってしまわなければならなかった面もあります。
そう、私はどこかおかしなことをしないというところがあるらしい。
求められたことは徹底的にやってしまうというような。

そして一方、家庭人としての私。
あまり主張したくないのです。
合わせてなんぼだと思っています。
プライベートでも然り。
友人たちとの電話でもお付き合いでもあまり主張したくはありません。
ただ、妹分的に、
あなたは何がしたいの?
と聞いてもらえるようなキャラでもあります。
そして、夫の仕事に自分の仕事の片りんでも見せることを極端に嫌がっていたような・・・。

そのどちらからどちらを思い出しても、私はおかしくなります。
あまりにカメレオンし過ぎて、おかしくなって、それぞれから反対の方でしたことを思い出すとどちらも恥ずかしくて仕方がなくなるのです。

教師側から、みんなに可愛がってもらって、かまってもらっている私を思い出すと、もっと勇気を出せよ!となるし、みんなと仲良くやっているときに、教師側で仕事をしている自分を思うと、とんでもなく恥ずかしいのです。

結婚前、私は、ほかの人たちと、

授業しているところなんか、好きな人に見せたくない。だって、可愛げないもん。

と話していました。これが時代性というものだったのでしょうか?
私はときどき混乱します。

新婚の頃、わざわざ住んでいた金沢に会いに来てくださった方がいらしたことがありました。親世代の方です。
夫が、私のことを、

この子が・・・。

と言ったとき、

この子?

と笑われました。そのことがそれをよく表しています。

これは周りが私にこうあってほしいという要望を呑んで生きてきた挙句の結果です。
それぞれのことをしているときに、それは決してウソではないのだけれど、その場面場面で違う自分になっている間に、時折それがうまく行かなくなって混乱します。

かつて新卒で勤めたとき、季節の休みになるとその休み明けが怖かったものでした。
ひとたび仕事が始まってしまうと次の休みまで息つく暇もありません。それにもうしっかりしなくては・・・、とシャンと背筋を伸ばして生きていかなくてはなりません。
それはお休み明けの月曜日の朝もちょっとしためまいのような感じがしました。

一度京都駅で、会いに来てくれた夫を見送っていたのをこともあろうに学園内の通信制の先生に見られていたらしく、

ねえ、先生、こないだ京都駅にいなかった?

いました・・・。

やっぱり?なんだか雰囲気が全く違っていたから別人かと思った!

と言われました。

この別人説、実は今年の初めにも言われました。
母が年末から年明けに整形外科に入院したけれど、帰って来てからも不調を訴えた挙句、また入院でした。
母が、入院中から訴えていたし、先生がどうすることもできないことをそんなに言っても・・・、と思っていたから、次の入院の時には母の訴えを聞き続けて、疲労困憊していました。
最初の入院の時と、私は全く違う人に見えたらしく、女姉妹が来たのかと思われてしまいました。
時は受験の最中。もちろん仕事モードオンリー。
家庭生活、友人との付き合いモードではなく、毎日を過ごすのが精一杯でした。
それを見越した周りが、季節の講習時にはあれこれ段取りをしてくださることになりました。今度は大丈夫です。
そんな折、まだ年末には余裕があったろうし、その時の入院時はまだ何とかなっていたけれど、毎日の入院食の味気なさと痛さを訴えられ、挙句、母は内科の主治医の先生が大好きなあまり、その先生のご指示で減塩食になっていたのを、

あんた、病院になんか言うたん?

と減塩の原因の疑いを掛けられる始末だし、入院明けに内科に行ったら、当の主治医の先生は、減塩について、家の食事でも気を付けなければならないのかと思ってお聞きしたら、

あんまり味気ないのもねえ。ほどほどに。

と言って、母に向かって、

ねえー?

と笑っておっしゃっているのです。
まるで私が管理しすぎている人みたいです。私が悪者です。

このパターン、私の人生で何回目でしょうか?
首謀者は誰だ?状態で、ますますブスッとなるのは私です。

母はまるで先生が押しであるかのようです。

いいね、そういう楽しみがあって。
母は真面目な人が好きです。
私なら不真面目で怒られてしまいそうな、思い切り真面目な先生のとんでもない優等生な患者みたいな真面目さで、診察室での会話を聞いていると、

うわあ、真面目。ついて行けない・・・。

と思います。
母の訴えを噛み砕いてお伝えするのは私ですが、私は私でそこはそこまで細かいタイプでないので、その間の説明に結構気を遣ってきました。
正直疲れます。
それに、ここではどちらの私でいればいいのかわからないのです。
変に専門的なことに首を突っ込んでもいけないし、かといって知っていることも調べたこともあるし、生意気なことを言ってしまったらどうしよう?と結構悩みました。
もう自分のことは自分で説明してほしいと思い、最近は自分で話してもらっています。
ちょっと私がお聞きするのは荷が重い。

こういうそんな役目、どうもあちこちでやって来たような気がします。

私が言っているのではないけれど、私が言ったかのように伝わり、私が責任をもたされる感じ。

今わかったのですが、どうも自分がどちらの自分も使わなければならないようなときに戸惑ってしまい、時には出過ぎで生意気にならないか、そして一方ではきちんと言っていないのではないか?と思ってしまうのです。

これも婚家での牽制が絡んでいるような気がします。

嫁に来たての頃、私がどういう人間かを聞かれた姑は、

高校の先生してたけど、そういうところを全く見せん人やから助かってて・・・。

と言っていたそうです。
この、そういうところを見せてはいけないという無意識の牽制を私はずっと気にしてきました。夫の会社の奥様でもほかの方はむしろ過去の経歴をしっかりと主張されていましたが、夫があまりにもそれを牽制するので、なんでか自意識過剰になってしまっていたのだと思います。正直そんなに意識するほどの仕事でもないけど。

今、正直、そのはざまでちょっと恥ずかしい気持ちでいます。
気にし過ぎたのか、久しぶりに肩こりもし、頭痛もします。

私は私でいたいし、どちらも私で、本当に好きなら、○○な面は見せるなというのは横暴です。家族というのは、その人を生かしてなんぼだと思います。当然にその人を大事にする気なら、その人の大事な仕事も尊重するべきです。
自分の仕事だけに引き寄せるのはどうかと思います。

そのカメレオンのようなことをしてきて、どうもそのほころびが見えてきているようで、そのどちらに対してもどうもモゾモゾと恥ずかしい思いをしていたのだな、と気付きました。

ここのところ、自分が出過ぎていないかと神経を遣い、そして一方、もっとしっかりしなくては・・・、と悩み始めていたのです。

書くことはいいことです。些細な自分のこころの状態に気付くことができるから。書いてみて、自分が何で毎日恥ずかしかったのかわかってきた気がします。

もしもサポートしていただけましたら、そのお金は文章を書いて人の役に立つための経験に使います。よろしくお願いいたします。この文章はサポートについて何も知らなかった私に、知らないうちにサポートしてくださった方のおかげで書いています。