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この時期の生徒の姿から見えてくるもの。

受験期です。

当然生徒にはあれこれあります。

泣きだす生徒もいます。

結構なことを言い出す場合もあります。

そんなとき、いつも私は過去の自分を振り返ります。

自分の受験期。

思い切り揺れていた頃。

先生方の言動・・・。

あれこれ考えて、ふと自分に引き寄せて考えることで、自分の人生の中で、なかなかに謎だったことがふと解決することがあります。


実は3日間、お休みをいただきました。

よほど共通テストが重かったのでしょう。

二次試験と私大のどこを出願するかが決まって、ホッとしたとも言えます。今年は私立文系が多くて、共通テスト以前から、受験指導が結構本格化していたので(本当に大変になるのは共通テスト後からということが多いのですが。)、ここでホッと一息つかなければもたない・・・、という直感の声に従ったような形になりました。

私は自宅にいることがあまり好きではありません。

仕事をしている方が、何も考えずに済むからです。ましてや、ベッドで寝てばかリなどというのは精神的によくありません。

あれこれ考えてしまうのです。

今まで疑問に思っていたこと。あまり美しくはないこと。考えたくないこと。人は人、自分は自分と思っている中で、人から言われた嫌な言葉。

正直、今でも、私が言い返す権利のある言葉があります。

もし神様が存在して、因果応報があるとしても、私がその言葉を言っても、絶対に咎められることはないだろうな、という言葉。

そんな言葉まで浮かんできます。

疲れていたのでしょう。いろんな夢を見ました。

潜在意識も上ってきます。今まで放っておいた感情も出てきます。

ついついきれいごとで済ましたい、人を信じたい私でも、見つめなければならない現実も、人間というものもあります。

最近、本当に人が好きそうで、その人を慕う人の多い人物について、語る場面を映像で見たり、本で読んだりしました。複数人についてでしたが、その方たちへの推測の中で、

徹底的に人が嫌いだったのではないか・・・?

という表現がありました。書かずにはいられない人間の醜さ。汚さ。

だからこそ社交的なのではないか?


私の周りには人がたくさんいる、とよく言われます。いつのころからか、そう言われるようになりました。でも、私自身には覚えが全くないのです。

私も人を信じている方だと思います。社交的だと言われればそうなのでしょう。

でも、その言葉を呼んだり聞いたりしたとき、ふいに自分のことを思いました。

もしかしたら、私もそうなのだろうか・・・?と。

うちの生徒さんになられたり、保護者になられたら、私は徹底的に愛する努力をします。

それは、私が、一応この道のプロだからです。お金をいただいて、仕事をしているということは、その部分においてはプロに違いありません。そこに好き嫌いなど存在してはなりません。

だから、絶対に愛するように努めます。しんどくても、なんとか理解しようとします。

教科指導だけの塾ではないから。

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櫻井真弓/国語大好き!(&数学)
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