大切な人を守るということー年中さんのときの息子の気概
マンション住まいをしていたある日、娘が帰ってきて、私に話した。娘にすれば訴えていたのかもしれない。
外で自分が自転車に乗っていると、お友達の〇〇ちゃんがお母さんと一緒に自転車に乗る練習をしていて、自分のことを、「〇〇ちゃん、邪魔邪魔!」と言ったんだよ〜!とのことだった。
まあ、気分のいい話ではないにしろ、大事にするのも変だしなあ、と思い(かつて田辺聖子さんの作品でも読んだが、あまり、子どもの人間関係に口出しするのも、まあ。いろいろあって、育っていくんだし。)くらいに聞いていた。状況くらいはしっかり聞いていたし、帰って来た父親に話しても、まあまあ、という反応だった。
しばらくして、里帰りから帰ってきた夕方、その件のお母さまにたまたま出くわした。例の件を思い出さなくもなかったが、まあまあ適当に、今実家から帰って来たんですよー!みたいに話していた、そのとき、私より、かなり下の方で動きがあった。
ふん?
なんと、年中さんの、一番おチビの息子が、忘れもしない短パンにTシャツ姿で、左肩を前に出し、その方に向かって、一歩踏み出し、
うちのお姉ちゃんのこと、邪魔だって言ったんですってねえ?
と言ってのけたのである。
母、唖然。
いつもは、ヤンチャだけれど、どちらかと言えばおとなしくて穏やかな子だと思っていた。やり易い子だったし。
もちろん、あちらは決まり悪そうな顔をされていた。
それからエレベーターに乗る頃には私の口元が緩み始めていた。事態の成り行きや、影響がジワジワとわかり出してきて、エレベーターを降りる頃には笑いが止まらなくて困った。
ものすごく効果的。
親が意見するわけにはいかないけど、ウチの中では、話題になってることは、伝わっただろうし。
それにしても、君はそういう人だったわけね!
と自分の息子の新たな一面を知ったような気がした。
ぼくの大事なお姉ちゃん。邪魔だなんて言うなんて!
会話には入ってなかったくせに、しっかり耳ダンボにして聞いていて、大事なお姉ちゃんを守りに行っていた。
たぶん、娘は嬉しかっただろう。
逃げてるわけではないにしろ、言うわけにもいかなかったけど、弟なら罪もなく、そうして、しっかり守られている、大事にされている実感があっただろう。
娘は娘で、弟が一年生になったときには、教室に行き、先生に、
よろしくお願いします。
と挨拶しに行った。
大事な弟に大事な姉。
それぞれに起こったことを、まるで自分のことのように胸を痛めたり、ちょっと庇ったり、仲の良い姉弟。
私は、あの、まだ純粋に、自分の気持ちに素直に行動していた様子を思い出すたび、ああ、人って、心底自分のことを大切にしてくれる人がいれば強いなあ、と思うのである。
理屈抜きで、大事な人の痛みを感じて、それを行動に移されたときの安心、それがあれば生きていける、と思うのだ。
意外に大人にもそれって、大事なことなんじゃないかな?理屈抜きに、ただ、一緒に辛さを味わって、思わず庇ってくれる人の存在。