期待して裏切られたら、ちょっとラッキー!かもしれないと思い始めた私。
最近、考え方が変わってきました。
あまりにもタイムリーに記事にしてくださるので、まるで私の心の中を見透かされているのかもしれない、と自意識過剰気味に?(誰に?)、感心しています。
最近、正直、裏切られることが、嬉しいことになってきました。
つい先日までは、裏切られたら、まるで無垢な少女のように、ショックを受けていた私が、ああ、私も大人になったものだ!と思えるし、裏切るには、裏切るに値するだけのものが私にあったということだろうし、それに、利用された、などというのは、本当に利用価値があるからしていただけるというもので、その価値もなければ、何事も起こらないし、まあ、乗り越えられると、認められた、という証明のような気がしてきました。
以前は何かあると、自分だけに起こることのように考えては情けなくなっていたのですが、いやいや、世の中にはいろんな人がいるものです。
それに、裏切ったり、利用したりする人というのは、本当に困っていたり、崖っぷちにいたり、それまでに、さんざん嫌な目に遭ってきた、そのことを誰かに仕返ししたいのかもしれないな、と、どこか冷めた目で見ている自分に気づき始めました。
慣れたのかもしれません。(笑)
世の中にはいろんな人がいて、その数が増えれば増えるほど、一定数、自分にとって不都合な人が出てくるわけで・・・。
でも、意外に、その不都合な人の方が、本当に以外にも、自分というものを鍛えてくれたり、強くしてくれたり、あるいはしなやかさを身につけさせてくれたりするもののような気がしているのです。
利用するなら、利用される側、裏切るなら裏切られる側の方が、スッキリ生きて行けるような気がします。
ショックを受けるのももったいない。
その間に、利用価値のある人は、しっかり次のステップへと歩を進めていると思うのです。
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