いやな日の翌日のこのさわやかさはなんなんだろう?
昨日、かなり重たい日だった。
ある会社との会合があったのである。
嫌な発言をしなければならないし、できたら関係もちたくないし、信頼していたから、かなりがっかりだし。
こちらが何か言えば、なんとか整合性でもって返そうとされるし、で、その整合性、根拠ないことがわかれば、ウソついてたのか?となって落ち込むし。
信頼していた人が、信頼に値しないと分かっただけでも落ち込むが、自分の見る目のなさが、一番堪える。
しかも、私は、教育の狭い世界で生きて来たから、と言ったときに、
何が?
という表情をされ、いかにも私が世間を知っていて(知っていたら、こんなことにはなってないはずだけど?)、何かの意図をもって、話をしてるんだろう?と言われている気がして、悲しくなった。
もちろん、こちらの気持ちだけれど、悲しくなった。
話をしたくない。関わりたくない。
しかも、自分のせいではなく、他社の条件の良さから自分のせいにしているという論。
私がどれだけ不快な感情に蓋をし、なんとか良好な関係を保とうと努力してきたと思うのよ。
今まで溜め過ぎていたのかな。嫌な感じを。
だからか、なぜかグッスリ眠れて、さわやかな朝だ。
私は、あまり、人に何か言いたくはない。
言えば言い返されるし。
でも、この関係で、言い返されるというのも変な話で。事実確認したり、謝るのが筋だろう。
それから、当方としても、〇〇は対応してきたので、と言うのが正しくないかなあ?
などと考えている。
とりあえず、仕事に戻ろう。と思った矢先、仕事の相棒が動かない。また、連絡取らなくちゃいけないの?
あー、憂なあ。
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