人様の新居で説教をされて就職一週間で退職した話(後編)
前回までの話はこちら。
勤務して1週間が経った頃、休みをいただいた私は従兄弟家族の引っ越し祝いに両親と出かけた。普段は山梨に住んでいる祖母もお祝いにかけつけた。前住んでいた家から引っ越して新しいマンションで暮らすことになった従兄弟は嬉しそうに学校の話をして、勢い私の就職話になった。
「えみ(わたしのなまえ)ちゃんは今どんなところで働いているの?」
そう叔父に問われて、私が今働いているホテルのお客さんね、○○○が多いんだよ。というか○○○が大半なんだよと答えた瞬間、空気が凍った。
笑っていた両親、叔父夫婦、祖母の表情は一瞬にして無表情になったので、私は焦る。おや、なんか自分が思っていた反応と違う。
あぁ、そうなんだとなごやかな相槌が返ってくるものかと想定していたが、返ってきたのは祖母の「えみさん、ちょっと来なさい」という反応だった。
「うちはかたぎの家です」
この言葉を封切りにして、従兄弟家族の新築マンション引っ越し祝いにきたはずだった私は、別室で祖母のお説教をくらうことになった。この時20代前半。
母方の祖母は惜しみなく私や弟たち、従兄弟に愛情を注いでくれる人だったが、奉公も戦争も伴侶に先立たれることも全部経験しているだけあり、怒るとものすごい怖い。この時も叱っているうちに腹がより立ってきて、同じ内容で2周目が始まり、3周目で落ち着いた。
あれ、今日はいとこ家族の引っ越し祝いでここにきたのではなかったのか。主役は当然にこの新居といとこ一家ではなかったの?なんで私はその従兄弟の新居で祖母に○○○と関わるなと説教を受けているんだろう。
結論からいうと「すぐやめろ」。今この場でやめると電話しろとのことだった。
直接的な関わりがないとしても、朱に交われば赤くなるの言葉どおり、そうなれば私自身だけでなく親戚一同にも迷惑がかかるからやめろと。
えっ、と一瞬耳を疑う。
働き初めて一週間。せっかく仕事が決まったばかりだというのに。しかし、「親戚一同に迷惑がかかるから」と言われた時点で7割くらいの肚は決まってしまった。
それでも残る3割の未練もあったし、その頃も変わらず能天気であった。「わ、わかったよ。五分だけ考えさせて。それで決めるから」
五分だねとの言葉にうんと返して時間をもらう。その時間にあぁ、また自分は無職なのかぁと近い未来になるだろうことをうっすら想像しつつ、今の仕事を諦めることとした。
仕方ない。
実際に電話をかけると責任者の反応はいたって軽かった。あー、そうなのね、わかったわかったみたいな軽さだ。簡単に辞められたことを考えると私みたいに入ってすぐ辞める人は多いのかもしれない。多分大方は私と同じ理由だろう。
就職して一週間で電話で退職を伝える非常識さと、無報酬が暗黙の交換条件となった。制服をクリーニングして返した時がそのホテルを見た最後となり、昨年、ふと思い出して検索をかけたら、私が辞めたホテルは廃業していた。
その後、あっさり学校から別の仕事の紹介があり、私は中途採用として社員として新しい会社で働くことになる。6月の頭のことだった。
ただ、学卒で一週間だけ働いたホテルのメイン客が○○○だったことと、祖母の説教は自分で思っていたよりもダメージが大きかったようで、学校から仕事の紹介を受けた時も、新しい職場に働きはじめてからしばらくの間も、○○○まみれだったらどうしようと怯えることになった。
「ここに○○○はいないですよね?」と何度聞いたみたい衝動にかられたことか。今から考えるとしようもないことなんだけど、当時の私は真面目にそう考えていたのだ。
もっともそんなことを聞いたとしても就職課の人も職場の人も「はい????」とか返すだけだったろう。
祖母はその後、仕事をやめた私をとっても心配してなんども電話をくれた。あの時はこれはいけないと思って一生懸命止めたけど、あれはもしかしたらやりすぎだったんじゃないかと思ってと、電話口で話していた。
確かにきっかけは祖母だったかもしれないけど、辞めると決めたのは自分だから。自分で選んだこととその結果を人のせいにしたら人生がつまらなくなる。つまらないのは好きじゃない。昔も今も。
それよりも。
孫のために一生懸命考えて、怒って、心配して、電話してくれたことが私は嬉しかった。
今でも思い出す。祖母はどこまでも心配性で、そしてやたらめっぽう気が強い女性だった。私をよく叱り、よく可愛がってくれた。
もう会うことはできなくなってしまったけど、もし夢で会えるのなら何て言葉をかけてもらいたいだろう。
なんか褒められるとかかな。
でも、やっぱり生きていたときのように、「えみさん、なんです。ちょっと座りなさい」と言っていつもどおりに叱られたい。