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灰色のミツバチ(1)

 ウクライナのロシア語作家、アンドレイ・クルコフ氏の「灰色のミツバチ」(左右社、沼野恭子さん訳)を読んだ。「ロシア語作家」とは、一般的にはあまり耳慣れない呼び方かもしれない。
 クルコフ氏の言語事情と近況について興味ある方は、以下リンク先「グローバル・ボイス」のインタビューを読んでいただければと思う。私が中途半端なことを書くより、遥かに分かりやすい。インタビュアーの的確な質問のおかげで、クルコフ氏のイメージがとても掴み易いと思う。https://jp.globalvoices.org/2024/03/23/62501/amp/

 本作品の話に戻ろう。客観的事実と相違あれば、ご指摘いただければ有り難い。感想や推測は全くの私見なので、その点はご勘弁のほど…

 先ずはタイトル。邦題の「灰色のミツバチ」は、ロシア語の原題「Серые Пчелы」(セーリェ・プチョールィ)からのストレートな和訳。ちなみに英訳版のタイトルも「Grey Bees」で原題そのまま。
 漢字で「蜜蜂」ではなく、カタカナで「ミツバチ」。ここ、いきなり細かくて恐縮だが、最初のポイントだ。
 漢字の「蜜」も「蜂」も、なかなか画数が多い。この2文字を見て、どんな蜂をイメージするだろうか? よくイラストで描かれているような、可愛らしいミツバチ🐝だろうか? 私の場合、蔦の絡まるレンガ造りの図書館にずらりと並んだ、大判ハードカバーの図鑑に出てくるような(蜜蜂を真上や真正面から見た)まるで電子機器の説明図のような蜜蜂の絵をイメージしてしまう。
 しかも、その色がお馴染みのカラフルな黄と黒の縞模様ではなく、どんよりした灰色ときたら、どうだろうか?
 ところが、カタカナで「ミツバチ」とサラリと書かれていると、印象は180度変わらないだろうか? それこそ、よくイラストなどで見かける、ミツバチ🐝にならないだろうか?

 名は体を表す…
 この物語の舞台は、2017年(と思しき)ウクライナ東部の紛争地帯だ(本の最後部に地図があるので参照されたい)。ご存知の通り、現在は国と国との戦争にまでなっている地域である。主人公や彼の周囲の人々の暮らしは過酷だ。が、そんな状況下でも、主人公の言動は(時により)ユーモアを交えて描かれている。そのおかげで、読者は頁を繰る手を休めることなく、疲弊せずに最後まで読み通すことが出来る。
 その意味で、漢字の「蜜蜂」ではなく、カタカナの「ミツバチ」の方が本作品のトーンに合っている気がする。「灰色の」で暗くなった視界に「ミツバチ」でいくばくかの明るさが戻るのだ。
 このあたり、はなはだ僭越ながら、訳者・編集者のバランス感覚・言葉のセンスは流石だと思う。
…… 
 さて、では「灰色のミツバチ」とは、一体何なのか? 「ウクライナと『親ロシア分離派』の最前線に出現した緩衝地帯(グレイゾーン)で飼育されている蜜蜂(⇒この場合は漢字か)」なのではあるが、それだけだろうか?
 その意味だけであれば、「グレイゾーンの蜜蜂」(the bees in the grey zone)などとしても(文法的には)正しいだろう。しかし、そうはなっていない。
 何故か? 
 実は「グレイゾーン」以外に「灰色の」には次に述べるような二つの意味があるのではないだろうか?
 ひとつは「死んだ蜜蜂」だ。物語の中でも、何回か登場する。実際の蜜蜂は死んでしまうと、黄色い部分が灰色に変わるらしい(確かに人間や動物も命が尽きて血の気が引くと皮膚が色褪せる)。
 では、なぜ「(屍の色=)灰色の蜜蜂」なのか? 
 そこには、「武力衝突による犠牲者(=死体)」のイメージを端的に(詩的に?)現していると同時に、以下のような作者のメッセージが行間や余白に込められているように思える。

「この虚しい戦いをいつまでも続ければ、みんな死に絶えて(灰色の屍になって)最後には誰もいなくなってしまいますよ」…

 考えすぎかもしれない。作者はそこまで思っていないかもしれない。しかし、本作品は文学だ。アートである。だから、どう感じるかは読み手の自由である。正解はない。

「灰色の」の二つ目の意味については、回を改めることとしたい。

(つづく)

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