シンプルなのに長けていておもしろい
久しぶりの投稿になります。
書きたいことはあるのだけれど、どうにも書く気持ちになれなかった。というのが本当のところです。
こうやって書くのは好きなのだけど、伝わるように伝えたいと思えば思うほど、躊躇してしまいますね。
ただ、
書くことで、自分の中が整理できることもあるので、自分のノートに書くように、ここに記していこうと思います。
今回は、私の活動の基本となっているお仕事での想いについて書きます。
私は、2005年10月から「ひまわり運動ひろば」という水泳教室を運営しています。
対象は、 基本的に保護者等の同伴なくレッスンに入れる、年少~小学6年生までのお子様です。定型発達児・発達障がい 児も含み、 特別支援学校に通うお子様や、通常学校の支援級に通うお子さまもいます。
うちの水泳教室には選手コースは設けておりません。
最終目標は4泳法(「クロール」「平泳ぎ」「背泳ぎ」「バタフライ」)習 得ですが、一般のスイミングスクールにあるような進級テストは無く、年に一度くらい上達を確認する評価は行い、上達したことに対して認定シールを渡して台紙に貼ってもらっています。
このような形で運営している理由は、「子ども時代は、1つのスポーツに固執することなく、人の動きの土台 となる部分を、丁寧に習得していくことが大切だ」と思っているからです。
定型児も障がい児も同じで、動きの土台の部分が成熟していくように丁寧に取り組む事が、未来の行動力や思考に繋がります。
私は、「水泳・水慣れ」という水のツールを使って、子ども達に少しでも自分の身体のボディーイメージを掴 んで欲しいと考えています。
そして、
定型児や障がい児がいっしょに教室に参加する上で、心がけていることとして、子ども達の「環境に順応する力」を育てたいと思っています。
大人も子どもも「楽しく過ごしたい」という気持ちが、《考える力》や《工夫する力》や《集中する力》にな ります。
みんなで遊ぶことが楽しい子、
その様子を見ることが楽しい子、
一人で遊ぶことが楽しい子、
いろんな思いの子がいることを感覚で理解できるのが、子どもの頃のシンプルな発想です。
その素敵なシンプルな感覚を、私達大人は、見守り、時には優しく介入しながら、子ども同士の関係を心地よいものにするサポートをすることが大切だと思っています。
そうすることで、子ども達は、「感覚」で人との距離感を「自分のペース」で学んでいけます。決して大人が 思うペースではなく、その子が理解するペースで。 こういうシンプルな感覚・発想は、子ども時代の特権です。
これも、定型発達児も発達障がい児も同じです。
私の夫は片足大腿切断の身体障がい者で、その夫が水泳教室を手伝ってくれていた頃、初めて夫の足をみた子ども達はすぐには近寄りませんでした。
でも、間もなく距離を縮めて、断端部分が柔らかいからとずっと触っている子や、「なかなか生えてこないね」 と声をかけてくれる子、更衣室に立てかけてある義足にビックリしないようになったり、片足なのに泳ぎが上手 だと褒めてくれたり。
子ども達の環境に順応する力は、大人より自然でシンプルです。
定型児・発達障がい児などと、分けるような表現をしていますが、
実際、私には関係ありません。
誰しも個々に価値観というフィルターがありますが、できるだけ偏った価値観で接しないようにします。
ただただ、目の前にいる子を愛を持って「観る事」「聴く事」「感じる事」を怠らないようにして接するだけです。
子ども達は大人のミニチュアではありません。まだ未成熟です。
未成熟なのに順応する能力は大人より長けていることがある。
そこが、子ども達の面白いところです。
心の垣根が無い状態から物事を考えたりできると、思考の可能性も広がりやすいし、
考えていることが整理できるようになると、自ら生きる力にも繋がります。
そんな経験を、私達大人は理解し、見守り、サポートして、子ども達の成長を喜ぶ気持ちが必要だと思っています。
そんなことを思いながら、お仕事をしています。