雨が降ったり止んだりしている東京から、愛を込めて
台風の流れに翻弄され続けるここ数日。大きな被害が出ない事をお祈りします。
こちらのnoteに書く習慣がすっかりなくなっていて、ご無沙汰になってしまったような気がしていますが、今日もっと自分を解放したい、何も考えずキーボードをタップしたいという思いに駆られました。
ここ数ヶ月の私の頭の中をハックしているのはこれからどうありたいかという事ばかりです。まあ、いつも考えている事といえばいつもの事なのだけれど、今までとはちょっと違った感覚で、ちょっと進化形の様な気がしています。
今までは自分の眼の前にある日常をこよなく愛する、そのことに全勢力を注力してきたけれど、そこからまた新たな一歩を踏み出したいと考えている自分がいる。これが、時が流れるという事でもあり、人間の欲、なのかもしれない。でも変化するというのは当たり前の事であってもう受け入れるしかないと思っているのですが、変化するにはそれなりの覚悟を持って現実を変化させていく力が必要となってきます。何より怖いですよね。
それに伴ってほんとーにやる気が出なくなったり、大丈夫か、私?と思う様な事もあるのでまあまあしっちゃかめっちゃかです。
けれど、自分と向き合う事に挫けてはいけないとは思っているので、、考えて、少しビジョンが見えて、また修正してはその繰り返し、、そしてその間に自分にもう必要ない考えや気持ちを削ぎ落としていっている様な感覚があります。
そうなんです、ここまでくるまでに何か色々な余計なものを纏わりつけながら来てしまった様に思うのです。それはもう今の自分には必要ないし、ぼたぼたと道に落としてしまって良いのです(掃除しながら😆)。
その中で「怒り」という感情はとても向き合った期間かもしれないと振り返ると思います。今までの人生そこまで怒ってきたかな、、と不思議になるのですが、もしかしたらただただ押さえつけてなかったものにしていただけかもしれないです。
どうにもならない事への苛立ちや解決策の見出せない自分、それを見ずに他人に怒りを向けてしまったり、まあ情けない事半端ないです。
そして昨日爆発してしまった令和の米騒動への怒り、、スーパーの棚を見つめる度に怒りの様なものが沸々と沸いてくるのがわかりました。
でもこの怒りの矛先は何に(誰に)向かっているのだろう?と考えてみると、それは紛れもない自分自身でした。
普段感謝を持てず当たり前の様に口にしていた食べ物や、生産者さんへのリスペクトが欠けている自分、何よりその食べ物を食べる自分の有り様が許せなかったのだと思います。ただただ欲を満たすだけに食べている自分、きちんと味わって食べる事を怠っている自分に、です。
このカラクリは米騒動の事だけではなく、あらゆる事に共通していて、、目の前にいる相手からの何気ない言葉にムッとした時の事や怒りを覚えた事をよくよく考えてみると、相手に怒っているのではなくて自分の弱さを露呈された気がして居た堪れなくなったのだと思います。
そして自分に完璧さを求めながら生きている自分にとても窮屈さを感じたのだと。
こうしてつらつらと書いてみると自分とはなんてちっぽけな事で悩んでいるのだろうと情けないような、それでもそれが愛おしいような、不思議な気持ちになってきます。でも自分を許した分、他者に対しても許しの気持ちが湧き上がってくる、それは紛れもなく私が私自身を許した証拠なのだと思います。
昨日もう一つ、とても違和感を覚えた言葉がありました。一緒にお話していた方が「あの人、あんな感じで善意的に対応してくれたけれどきっと胸の内はなんでこうしてくれないのかなって思ってるよ」と仰ったのです。
私も人間歴40年以上、社会人歴も20年以上となりますので、多くの人が一度は陥ってしまう考えであるし、謙遜、配慮、防御、威嚇、、の様な単純には表せない気持ちの有り様であるというのは理解しています。もちろんこの言葉の裏側にはその善意さに感謝しつつも自分の至らなさに申し訳ない、だから今度お会いした時には一生懸命対応しようという前向きな気持ちも含まれていたのだと思います。
ただ、それをわざわざ言葉にせずとも、、と思ったし私はその頂いた言葉をそのまま信頼して受け止めたいと思ったのです。
でもこれもまあよく考えてみたら私日常の中でやりまくってますよ!相手からの言葉を信じられずあれこれとその裏をかこうと必死になっているのです。それは自分が傷つかないために防御して威嚇して、自分を大きく見せているだけ。
情けないですが、これが実情でもあり、改善しなさいよという単純な話でもないです。ただただもっと自分が緩んで自分を許していければもっと自分にも他者にも優しくなれる、それだけの事の様に感じます。
今まで怒りの感情にどの様に向き合えば良いかわからずその感情を隠したり誰かにぶつけたりしてしまった事もあったけれど、こうして内観する事で案外あっさりと腑に落ちるという事がわかった出来事でもありました。
人生は長い、でももしかしたら明日終わってしまう人生かもしれない。だからその中で味わう感情はきっちりと味わって、自分を許しもっともっと緩んでいきたい。
こんな事を考えたのも台風によってもたらされたぽっかりとした時間のおかげでもあります。
雨が降ったり止んだりしている東京から、愛を込めて。
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