⑲正当化の代償『過去を肯定して生きる事』

同棲を始めた。

遠くなった

子供服屋を辞めて

地下鉄で通う

ファミレスで働いた。

でも数ヶ月。

通勤途中

過呼吸になり

やっぱり

そのまま

辞めてしまった。

初めは

近所で

働きたくなくて

でも

免許が無いから

公共交通機関で

通わなければならなくて

大丈夫。

と言い聞かせたり

早めに出て

一駅ごとに

降りたりしてた。

ある時

職場で倒れた。

暫く

働く事を止めた。


家にいると

義母と

お茶をしたり

家事をして

買い物に行って

一日を

過ごした。

会話の中で

よく

「若いうちは

働かなきゃ」

という言葉が

出てきた。

義母は

若い時から

ずっと

同じ所で働いて

子育て中も

働いていた。

働き者だ。


私は

近所の

ファミレスで

働く事にした。

乗り物に乗らずに

通えるから

気持ち的には

楽だった。

フルタイムでのパート。

休憩時間が2時間。

1度家に帰って

ご飯を食べてから

少し休む。

「若いうちは働かなきゃ。」

『うん、そうだね。

頑張る。』

という会話を

毎日していた。

そのうち、

『うん、そうだね。

私に言ってるんだよね?

あれ?働いてるけとな。』

励ましともとれる

言葉が、

私には

もっと働け!

と言われてるように

聞こえてきて

しまっていた。


毎日

フルタイムで

出てるけど

まだ足りないかな。

あと何しよう…


と、

だんだん

追い詰められた

気持ちになっていた。

口癖と思って

聞き流せば

よかったのに、

当時の私は

真に受けてしまった。


野菜の袋詰めの

パートをかけ持ちした。

体が起き上がらなくなった。

頭が痛い。

旦那に

『病院に連れて行って』

とお願いして

精神病院に行った。

自律神経失調症

抑鬱症

また

全部の仕事を辞めた。

義母との

お茶も

辞めた。


薬を飲んで

寝て

買い物に行って

家事をした。

スーパー

に行った時

過呼吸になり

店内で倒れ

救急車で運ばれた。

意識はあった。

ただ、

声が

出なくなっていた。


一度家に寄り

義母も乗せて

病院に向かう途中

義母は

「私も足が痛くて」

という

会話を

救急隊としていた。


その日は病院に入院した。

翌朝

姉と

他県から

2時間かけて

兄と母が

来ていた。

旦那も遅れて来た。


先生と話して

環境を変える為

母の家に暫く

行く事になった。



催眠術の様に

繰り返される言葉。

いっぱいいっぱい

になると

強制的に

体の機能が停止する

声が出なくなる事。

その場から

逃げ出す手段が

過呼吸。


これを全て

過去のせいにして

生きていた。

そうやって

自分を

正当化しなければ

生きていられなかった。


当時の

お山座りは

抜け道を

見つけられないまま

ようやく

一緒に暮らせた

母と

ただただ

親子をした


母のお店に

一緒に行った時

お客さん通しの

言い合いが殴り合いになり

過呼吸を起こした以外は

平和だった。


3ヶ月後

声が出るようになり

ご飯も食べれるようになり

旦那の家に帰った。




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