この厳しくつらい世界へ落ちた君へ
やあ、こんにちは。
今、君はどんな気持ちでこの文を読んでいるのだろう。
初め、私は自分の恨みつらみを君のお母さんに向けて書き殴ってやろうと思っていた。それはもう、汚い言葉ばかり書き連ねた。
しかし、書くにつれてその文は何も生まないことに気づいたのだ。
私のやるせなさがただ膨らむだけ。誰も受け取らないその文は、吐き出したごみのままでそこに落ちているだけだ。
それを見て私はどうしようもなく悲しくなってしまった。
誰が拾って読んだって、その文は幸せを生まない。ならば―――。
君に向けて、心ばかりの応援を伝える文にしよう。
これが私の自己満足としても、いつか君がとてつもなくつらく苦しくなってしまった時、その気持ちを少しでも和らげることができれば。
そう思い、私は再びペンを執った。
さて、人として生を受け、幸せになれる確率ってどれくらいだろう?
答えは考えるまでもなく50%だ。つまりは幸せと、不幸は同じ確率で当価値。不幸の方が嫌なのに、こんなに理不尽なことはない。
でも、人間の寿命というのはそこそこ長くて、幸せな時と不幸な時を繰り返して人生は進んでいく。
そして人間というのは物事を良い方へ考えたいものだから、「終わり良ければ総て良し」という言葉の通り、大方「つらいこともあったけど、幸せな人生だったな」と思いながら死んでいく。
これが多くの人間が歩いていく道だろう。
私はというと、幸せか不幸かはともかく、息苦しい道を歩いてきた。
まだ小学生~中学生の子供の頃だ。ちょっとしたことから、私は人間不信になった。周囲の全ての人間は、自分と別の生き物に見えた。
ただ、私は嘘をつくのが上手かった。何となく周りと空気を合わせることもできた。その一方、本音は飲み込んでひどく息苦しかった。
学校も家での生活も負担になっていたようで、休日は疲れがどっと出て、翌日の夕方まで眠っていた。
成長するにつれて、自分が社会に馴染めないことばかり自覚していく。
私はこの場所に産まれるべきではない人間だったのだろう。
そして、私のようなものはこれ以上増やしてはいけないと思っていた。
そんな中、私は自分と似た人と出会った。いや、似てはいるものの、生まれ育った環境はかなり違った。それでも彼に惹かれた。
なるほど、これが親愛という感情だと知った。
しかし、その気持ちが深くなるほど、遺伝子に組み込まれた子孫繁栄のシステムだと感じて、何とも空しくなっていくばかりだった。
子を産みたくない、という私の我儘を、彼は彼で理由があったようだが、尊重してくれた。
安心した私は、ささやかな幸せを感じながら生きていた。
「つらいこともあったけど、幸せな人生だったな」と思いながら死んでいけるだろう……と思うほど。
そんな折、私は君が産まれるとの報せを聞いた。
正直な所……君のお母さんとお父さんは、細部に気の回るような人では無い。優しい人たちだが、想像力が足りない。君が産まれる少し前に、一度諦めたこともあった。周りがそうするべきではないと反対したからだ。
無論、君も周囲に待ち望まれた存在ではない。これは残酷かもしれないが、今のところ事実だ。
それに加えて、君には産まれつき傷がある可能性が高かった。治らない傷だ。幸せと不幸の確率は50%だと伝えたが、君の場合は不幸の方が多いかもしれない。
故に、私はその報せを聞いて深く考え込み、苦しくなってしまった。
私は運のいいことに今、幸せに生きることができている。
しかし、これまでつらいことが本当にたくさんあった。それ故に「もし誕生前に、産まれるか選ぶことができるなら」、私は産まれないことを選ぶ。
私が今感じている幸せは、つらくてどうしようもない時の私には想像できないことだからだ。
生きることはつらい。つらいことばかりだ。「生きることは素晴らしい」なんてとても言えない。
でも、その中で少しの幸せを掬いながら生きているのだ。
君は産まれた後、幸せを掬うことができるだろうか。
君がもし産まれたら、私は血を分けた人間の一人となる。
私が君にしてあげられることは何だろう。幸せにしてあげるなんて、口が裂けても言えない。私は非力だし、そこまでの責任は持てない。
でも、君が産まれる前なら。お母さんを説得して、誕生する前に君に「終わり」を……あげられるかもしれない。
説得して、説得して……説得できないなら………………。
私があげられるものはそれだけな気がした。
考えるうちに時は過ぎていった。
産まれて、君が幸せになれる可能性はもちろんある。なんて悍ましく自分よがりな考えだと思った。
でも、それ以上に怖かった。私のような未熟な人間が、やわらかい命をひとつ左右するということ。恐ろしくて仕方なかった。
ごめんね。
私が、何も決められない、何もしてあげられない人間でごめんね。
君が産まれた後に後悔しているなら、どうか懺悔させてくれ。
その命の責任は、確かに私にもあった。
そして、まだ寒さの残る初春の頃、君が産まれたと連絡があった。
母子共に健康と写真が送られてきて、私の中に生まれたのは確かに「喜び」だった。
さて、この喜びは君のお母さんが無事だったことへの安堵か、子孫が産まれたことへの遺伝子的な嬉しさか……。
はたまた、自分の責任を果たさなくてよい無責任さか……。
どれだとしても、君の誕生を祝えない自分が情けなくて仕方ない。
しかし、どんな言い訳をしようとこの世に産まれてしまった。
結果論というのは嫌いなのだが、産まれてしまったものを無くすことはできない。ならば、私にできることはもう一つしかない。
幸せか、不幸か……この先どちらも経験するだろう。そのうち、少しでも幸せの方が多くなることを祈るだけだ。
この世界は厳しくつらい。泣いて、もう立ち上がれない時も来る。でも、産まれてしまったのだ。どうか幸せになるかもしれない自分を信じて、君自身を大切に、生きていってほしい。
君の誕生を心から祝うことはできなかった。それでも、君の幸せは心から祈っている。これは、紛うことのない私の本心だ。
ひま餅