折口信夫の「まれびと」
【まれびと】
折口信夫は、決まった時期に、他界から来訪する神をまれびと「稀人」と呼びました。他界から来る者を神とする風習を「まれびと信仰」と言います。まれびとには、個性というものがありません。そのため、限定的にとらえられるものではありませんでした。まれびととは「先祖の霊」のことで、その先祖の霊は、一種の神のような存在とされています。もともと、日本では、神と人の境界線が曖昧でした。神と人を明確に区別する一神教的な考え方がなかったからです。まれびとは「常世」からやって来るとされています。常世とは、はるかな海のかなたにある死者の国のことです。死んだ魂は、そこへ帰っていくとされています。
【もてなす】
先祖の霊は、盆の時期に、他界からやって来るとされています。他界から、来る時の目印となるものが、門松などの依代「よりしろ」です。子孫たちは、先祖をもてなすことで、健康と平和が約束されると信じていたとされています。折口信夫は、まれびと「先祖の霊」を歓迎する気持ちから、お客様を「もてなす」という日本の文化が生まれたとしました。その心は、あらゆる日本の文化の根底にあるものとされています。また、客人としてのまれびとに、気持ちよく滞在してもらうために「茶道」「華道」「舞踊」などの芸能が生まれたとしました。私たちは、先祖から物を受け継ぐと同時に、日本人独特の感覚も受け継いできており、それが日本の文化に内在しているとされています。
【言霊】
言葉というものは、先祖から受け継がれてきたものです。そのため、言葉を神聖なものとしてきました。日本には「言霊信仰」というものがあります。言霊信仰とは、言葉には、言ったことを実現させる力があるという考え方です。音声を伴う言霊には「律」と言うものがあります。律とは、575などの「リズム」のことです。一定のリズムには、次の言葉を引き出す力があるとされています。575と韻を踏むことが、和歌という歌の原型となりました。一説では、和歌のような律文の方が、散文より先にあったとされています。折口信夫は、その歌は、もともと神様「まれびと」に楽しんでもらうためのものだったとしました。
【呪言】
それぞれの土地には、語り継がれてきた「口承文学」というものがあります。それは「語部」たちによって保存されてきました。語部とは、その土地の歴史を語り継ぐ者たちです。その物語は、何世代にもわたって大切に伝えられてきました。語部が、語る時に使うのが「呪言」という言葉です。呪言は、神様「まれびと」が、地上にやってきた時、人々に授けたものとされています。元々は、その土地の農作物や村長を祝福し、人々の幸せを願うためのものでした。
人々が、新しい土地を開拓する時、常に邪魔をしてきたのが土地の精霊です。まれびとは、人々のため、その精霊を問答によって打ち負かし、服従を従わせました。神と精霊の問答という言葉の応酬から「問い」と「答え」で歌を詠み合わせるという和歌の形式が発生したとされています。