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ツァラトゥストラはかく語りき、第四章

【密の供え物】
 ツァラトゥストラの魂の上を、多くの歳月が流れました。その間、冷たい孤独の中で、血が円熟の蜜になったとされています。その密を供え物としました。ツァラトゥストラは、飽くなき真理の探究者だったとされています。そのため、自分の「星」を目指しました。星とは「理想」のことです。ツァラトゥストラは、凝り固まった妄想の宿を後にして、自分自身の故郷を探しました。
 人間は、稲妻に撃たれるほど、高みに生長するものです。ツァラトゥストラのもとには、その稲妻を生み出す知恵が雲のように集まりました。人間は、克服されなければならないものとされています。そのため、ツァラトゥストラは、この世の絶望者である「ましな人間たち」を自分の後継者として、育成しようとしました。ましな人間たちとは「王」「魔術師」「法王」「求めてなった乞食」「影」「良心的な学究」「預言者」「ロバ」「最も醜い人間」などのことです。ツァラトゥストラは、彼らを人間魚として釣り上げ、自分の大きな洞窟に集めました。

【良心的な学究】
 そのましな人間の1人が、良心的な学究です。良心的な学究は、狭い専門領域に閉じこもり、底の底までつきつめようとしました。多くのことを、中途半端に知るくらいなら、何も知らない方がましだと考えたからです。そのため、手のひらほどの基礎があれば十分でした。良心的な学究は、他人から賢者だと思われたいわけではありません。自分自身の真理を、探究してるだけだからです。
 一般的に学者は、嘘を言わないと言います。ただし、反応的にしか思索しません。自分では、創造することが出来ないからです。彼らの冷え切った知性では、創造することが出来ませんでした。嘘もつけない者には、何が真理であるかが分からないとされています。

【魔術師】

 かつては「人生は、空しく無意味だ」と嘆きの歌が知恵としてまかり通っていました。そうした歌を歌うのが、老いた魔術師です。魔術師は、自分の苦しみを信じこませるため、自らの病気に化粧をしました。自分を自虐的な「精神の苦行僧」と思わせかったかったからです。その言葉は、借り物で、嘔吐感だけが本物でした。魔術師は、偉大さを求めましたが、偉大ではなかったとされています。ツァラトゥストラに、自分の芸を披露しましたが、その正体を見破れました。魔術師は、人を惑わす腹の底からの俳優で、孔雀とも呼ばれています。ツァラトゥストラは、そんな魔術師に我慢出来くなり、真実で過酷な殴り方で、打ちのめしました。ましな人間の中で、この魔術師を嫌っていたのは、良心的な学究です。そのため、魔術師が歌った後は、空気を入れかえろと言いました。

【法王ともっと醜い人間】
 ツァラトゥストラは、古い神はもう生きていないとしました。神は、同情の大きな塊が喉につかえて死んだとされています。もともと、東方から来たその神は、秘密に富んだ隠れた神でした。また、復讐心が強かったので、地獄をこしらえ、審判者を演じたとされています。その神に最後まで仕えていたのが。黒衣を着た蒼白の年老いた法皇です。法皇は、主人がいなくなり、勤めがなくなりました。彼も悲哀を扮装した魔術師の一種で、その正体は、現世の誹謗中傷者でした。仕えるべき神がいなくなったのに、さりとて自由でもありませんでした。そのため、およそ神を信じない者のなかで、最も敬虔な者であるツァラトゥストラを探したとされています。
 神の殺害者とされるのが、最も醜い人間です。殺害した理由は、目撃者への復讐だとされています。神は、一切を見ることが出来ました。最も醜い人間は、そんな目撃者がいることに耐えられなかったとされています。

【求めてなった乞食】
 牝牛たちに教えを説く、山上の垂訓者を「求めてなった乞食」と言います。求めてなった乞食は、従順な牝牛のようにならなければ、天国に入ることは出来きないとしました。その天国は、反芻する牝牛たちのもとにあるからです。また、幼子のようにならないければ、、天国に入れないともされています。しかし、ツァラトゥストラは、大人になったので、地上の国を欲しました。
 求めてなった乞食は、柔和な人とも呼ばれています。もともとは、富んでいる者でしたが、自分の富を恥じ、それを人々に贈ろうとしました。その富とは、その教えのことです。求めてなった乞食の一族は、目標も故郷もない放浪者でした。そんな彼を砂漠で誘惑したのが悪魔です。悪魔は、脱皮をすれば、名前が変わるとされています。または、悪魔そのものが、うわべの皮なのかもしれません。

【絶望者たち】
 神が生きていた時は、我々は、みんな平等のはずでした。求めてなった乞食もそう説いています。その神が死んだのに、平等の精神だけが残りました。今日、この世の支配しているのは、一般大衆だとされています。世間の広間では、彼らによる身振り手振りが幅をきかせていました。大衆の社会は、金メッキをした、厚化粧の見せかけだけの世界だとされています。ツァラトゥストラは、健康で耐久力のある農民こそが、その世界の支配者となるべきだとしました。
 大衆というものは、何もかもごちゃ混ぜにしてしまいます。その中で、高級な人間が、成功することはまれでした。なぜなら、大衆にとって、高貴な者は、邪魔者だからです。大衆社会でのましな人間たちは、絶望者たちでした。なぜなら、彼らは、そうした世に生きるすべを知らなかったからです。だかこそ、最もよく生きているともされています。ツァラトゥストラも、ましな人間たちに、諦めるより、絶望せよと言いました。

【道連れ】

 神が死んで以来、ツァラトゥストラが、この世の主となるべきだとしたのが、ましな人間たちです。しかし、彼らは、ツァラトゥストラの本物の道連れではありませんでした。ましな人間たちは、ツァラトゥストラのように、人間そのものに悩んでいなかったので、真の後継者とは言えなかったからです。そこで、ツァラトゥストラは、別の者たちを待つことにしました。その別の者とは、超人のことです。ツァラトゥストラは、超人が生まれることを願いました。
 ツァラトゥストラのように、高く登るためには、自分の脚を使わなくてはいけません。他人の背に乗って運ばれては、高みに到達することが出来ないからです。また、祖先の意志と共に登るのでなければ、高くへは登れません。そのため、ツァラトゥストラは、先祖の足跡をたどりました。賢者と言う者は、曲がった道を行くものです。そうやって、ツァラトゥストラも善悪の彼岸にある国を目指しました。

【正午】
 ツァラトゥストラは、不安な海に疲れた船のようでした。しかし、正午には、その海も静かになり、鏡のような凪ぎになるとされています。その時、世界は見事に熟れ、丸く完全なものになるとれています。それはまるで、黄金の丸い果実のようでした。そのように、熟れた果実は幸せのあまり、死にたいと思うとされています。
 正午になった時、ツァラトゥストラの魂が踊り出しました。ましな人間たちが、まずかったのは、踊ることを学ばなかったことです。舞踏者ツァラトゥストラは、そう言いました。ましな人間たちも、創造者だとされています。創造者は、隣人のために創造することが出来ません。ツァラトゥストラは、この「〜のため」を忘れろと言いました。創造するためには、目的や理由などを言う必要がないからです。それが、創造のためだとしました。

【酔歌】
 ツァラトゥストラは「これが人生というものであったか、それならば、もう一度」と死に向かって、そう言いました。その時、身体が一変し、生という病が快癒したとされています。この人生というものは、大地で行なわれる一つの祭りのようなものなのかもしれません。ツァラトゥストラは、その大地に忠実でした。全てのものは、かすかな糸で、大地につなぎとめられているとされています。ツァラトゥストラは、最も無垢な者が、大地の主人となるべきだとしました。
 世界という大小の流河は、今ある通りにしか流れることが出来ません。それらは、そっくり、そのままの順序で戻ってくるとされています。万物というものは、別のあり方を欲していません。それは、永遠に自己同一を願っているからです。万物は、未完成なものを愛しており、完成されようとして、永遠に回帰していました。そのように永遠に回帰することが、喜びだったからです。円環の意志は、自分自身を噛むとされています。
 万物というものは、互いに深く愛し合っていました。それらは、厳密な因果関係という鎖で繋ぎ止められているとされています。朝が来た時、ツァラトゥストラは、幸福の光を浴びて目を覚ました。その時、一つの徴を見たとされています。それを見たツァラトゥストラは、燃え上がり、力強い姿で洞窟をあとにしました。


つづく

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