行く先を知らぬまま「手段」に夢中になる危うさへの対処方法(虫とゴリラ)
養老孟司、山極寿一著「虫とゴリラ」を読みました。
昆虫好きな解剖学者として有名な養老先生と、ゴリラ研究者として世界的に有名で京都大学の総長でもある山極先生のお二人の対談。虫とゴリラの視点で人間社会について語り合う一冊でした。
虫やゴリラの世界の奥深さや、人間を動物として見た時の危うさや愚かさを感じる刺激的な一冊でした。
科学は「行く先がわからない」
驚きの多い本書の中でも、特にドキリとする箇所がありました。
養老:(略)科学と宗教の違いでね、書いたことがあるんだけど、科学って、やることがはっきりしていて、手段がきちんと決められている。ただし、「行く先がわからない」んですよ。そのとおりにやっていったらどこへ連れて行かれるかわからない。宗教は行く先を決めたんだけど、「どうやったら」行けるのかわからない。そこら辺が人間の持ってる矛盾っていうのかな、ややこしいところですね。
山極:それがもう、AIに表れていますよね。AIは「情報検索機械」だから、あらゆるデータに一定の目的を与えてやれば、あっという間に答えを出すわけなんだけど、AI「自体」が目的を見つけてくれるわけではない。AIにそれを任せてしまうと、とんでもないことになります。(略)
(第三章「情報化の起源」ビッグデータ p65-66)
私も「行き先」がわからないまま、仕事をしていることに気が付きました。例えば、マーケティングの本や先行事例などで、手段を学びます。そして、実際に業務に活かして、成功要因・失敗要因・次回への反省を行っています。
学習と実践と反省の繰り返しで、自分の知識や経験は豊かになっていくと確信していましたが、自分自身の学び方や考え方も、科学と同じで、手段ははっきりしているけれど、「行く先がよくわからない」と感じました。
科学、AI、ビッグデータの時代
技術の最先端、中国・深センに住む知人が「AIや技術の進歩は、もう誰にも止められない。だから、波に乗るしかないと感じている。」と話していました。「もう止められない」という言葉が、とても印象的でした。個人の力では、どうにもできない勢いとエネルギーで、科学の進歩が進んでいると感じます。
「目的」がわからずに、変化し続ける、とんでもない時代を生きるには、目先の仕事や暮らしに必要な「やり方」を学ぶだけではなくて、養老先生や山極先生のように人間以外の生物から学んだり、長いスパンで物事を考えたりすることが大切だと感じました。
自然に触れること。
古典や人文学を学ぶこと。
「意味」がないことをしてみること。
個別の体験を自分で情報にしてみること。
普段の生活で、「必要」ないことを、とても大切にしていきたいと思いました。