速い読書と遅い読書(乱読のセレンディピティ)
外山滋比古著「乱読のセレンディピティ」を読んだ。
「積極的な乱読は、従来の読書ではまれにしか見られなったセレンディピティがかなり多くおこるのではないか。」
という考えの本だった。
頭に残る部分、気になる部分、心が引っかかる部分を中心に、速いスピードで読む読書。反対に、なめるように、文章・単語一つ一つを丁寧に丁寧に遅いスピードで読む読書。
それぞれ善し悪し、特徴があるという視点が私にとって新鮮だった。その中でも特に、のろのろと文章・単語一つ一つを丁寧に読んでいると「わからない」ことがあるという指摘が印象に残った。丁寧に読めば、しっかりと理解出来ていると思っていたので、青天の霹靂だ。
コロナ禍以降、本をよく読むようになり、どのように本を読むかについて気になっていた。
見出しだけ読んでどんどん前に進む読書、気になる部分だけしっかり読んでテンポよく進む読書、一文一文丁寧にたまには少し後戻りもする丁寧な読書。
私にあっているなと感じるのは、ビジネス書や仕事に関する知識を学ぶための本を読む場合は、どんどん前に進む読書。エッセイや著者の経験ベースに書かれた本を読む場合は気になる部分だけしっかり読む読書。古典や小説を読む場合は後戻りもする丁寧な読書だ。
読書の量が増えてから、ジャンルごとに自分にあった読み方を見つけられていることを、本書を読んで認識できた。