3歳の息子。保育園からの帰り道、急に何かを思い付いた模様。 息子「お家ついて、手洗いうがい、トイレしたらさ…」 私「うん」 息子「239ほしいな」 239? あの、肉まんか!?いや、数字違う。 見たことも食べたこともない。 そして考えること数秒… 息子「お母さんが、買ってたやつ」 …もしや!? とりあえず息子を泳がせて、見守ることに。家で一連の作業を終えた息子は、わくわく顔で冷蔵庫の前。 息子「239飲みたいなー」 やはり、これだな。 乳酸菌! な
親しい人や、お世話になった方には休職する旨伝えたのですが、 あえて、大人の夏休みに入りますとお伝えしました。 適応障害で休職と言うと、少し重く感じたり、相手も構えたりすることがあったので、ちょっと疲れで診断書がでたのでひと月大人の夏休みを取ることになりました。と報告。 まあ中身もわかった上で、「ひと月ゆっくり過ごして、夏をエンジョイしてください」とコメントが返ってきました。 夏休み何しようかと思って、小学生のころを思いだし、自由研究でもしようかなと思ってみましたが、は
ついに診断書をいただくこととなりましてしばらく仕事から離れることになりました。 思えば1月から残業時間は毎月50時間ごえ。最近は100時間、98時間、88時間ときてまして、7月もすでに残業時間は33時間。 昔から体力自慢、健康自慢ではありましたが、色々と、伴わず…お休みとなります。バタバタ職場の人が体調を崩して補充がなく、みんなヘトヘトになっているなかの休職のため本当にごめんなさいの気持ちでいっぱい。 ついた病名適応障害。これをみた母が、「あんた!深田恭子さんと同じじゃ
3歳の息子がテレビ鑑賞中、ポニーが出て来て、お父さんあれなに?と指をさした。 夫は「ポニーだよ。ちっちゃいお馬さん」とのご返答。 ちょっとクイズでも出してみようと思い立った私がすかさず「小さなお馬さんをなんというでしょう!」と続けてピンポーンをいう準備までして息子の返答待ち。 ところが息子は 「うまに!」 なんですと!? うまに?うま煮?「に」しかあってないが、親の想像をはるかに越えた答えにざぶとんあげてよ、山田くん!と脳内笑点モードの朝でした。
数ヶ月前から胃がキリキリすることがあって、ついに痛くて夜目が覚めるほどに。 あわてて漢方薬を飲んだけど、少しおさまっただけで、相変わらず痛む。 なので病院を受診しました。 受付をして待つこと30分。とりあえずレントゲンを撮りましょうとのことで、レントゲン室へ。いざ、先生が現れて、レントゲンの台にのったところカルテを見ていた先生が「おめでとうございます!!」と急にいうものだからびっくり! 先生「当院がはじまって一万人目の患者さまです✨」 私「は、はぁ…ありがとうござい
仕事で帰りが遅くなることがしばしば。帰った時には家は真っ暗。みんな寝てしまっていることも多くて。会えるのは、朝出勤するまでの時間だけのことも。 そんなある日、保育園に子を送迎し、いつものじゃあねのタッチをした。そのとき、「お母さん、仕事頑張ってね」「ぼくもがんはるから、お母さんも早く仕事がんばるんだよ」「気をつけてね」などとタッチを何度も何度もしては、一生懸命ことばを続ける三才の子。 ああ、自分に言い聞かせながら、さよならしようとしてるんだと、はっとした。 その姿をみた
失敗を、失敗のまま終わらせなかったら、それは成功に変わる。私はそう信じて生きてきた。 負けず嫌いだから、失敗に落ち込んでいるところを誰にもみられたくなくて、強がって、自分を奮い立たせてきた。 だけど、私は今長くつとめた仕事を辞めようとしていて、私よりずっと大人の時間を長く過ごしてきた人に、「そんな一時のことで」「もう少し我慢したら」などと言われているけれど。 確かに大人たちのいうとおり辞めて失敗だったと思うかもしれない。でも失敗くらいさせてほしい。私の人生。転んで痛いの
何のカミングアウトか、これまた突飛な話です。 私、「大きくなったらナマケモノと結婚する」と豪語していました。親にも、「あんた、昔ナマケモノと結婚するっていってたのにまさか働き者の旦那さんと結婚するとはねー」と言われてしまい、親的にも大丈夫かこの娘!?と思われていたようです。 ナマケモノってもちろん人のことではなく、素直に動物のナマケモノで、昔TBS「どうぶつ奇想天外」という番組が放送していたのですが、そこでフタユビナマケモノの生態を知ってのひとことなのですが、ナマケモノっ
はじめましてこんにちは。 うめちびです。 小さなころは大きくなったらちびまる子ちゃんになるんだと信じていました。あとは人を笑顔にしたい!本が好きだったので本や文字にふれる仕事がしたいと思ってきました。 絵を書くことも好きです。残念ながら好きな気持ちと絵の上手さは釣り合いがとれていませんが。 さて、唐突ですが昨日年内で退職したい旨伝えました。このご時世仕事や安定して給与がもらえるだけで幸せだったのだと思います。 しかし、色々ありすぎて崩壊寸前の私と私の生活。子どもが3