喜怒哀楽
人間にはいくつの感情があるんだろうか。
嬉しい、悲しい、悔しい、切ない、怖い…
照れるとか苛立つとか焦るとかも感情なんだろうけど、
なぜ【喜怒哀楽】の4つの言葉が選ばれたのか。
喜、怒、哀、楽。
これのどこにも属さない感情ってある気がする…。
全身で全力で楽しんでます!!って姿が目には映ったとする。でも心の中では負の感情(寂しさとか侘しさとか)も感じてて、微妙に負の感情の方が割合的に大きいんだけど、言葉として表現するなら【楽しい】です。
…でも負の感情おりますの、ココにみたいな、どこにも属さないというより細かな感情。
なんかこの時点で、この世に理解してくれる人はいないんじゃと思って、ココロ音立ててポキポキ折れてる。
これを花に例えてみたとして(例え下手だな)
●喜怒哀楽は《花》
●嬉しい、悔しいとかの有名どこの感情は《茎》
●個人レベルのもしかしたら名前がついてない、
感情と呼んでいいのか分からないレベルのが《根》
個人レベルの感情(根)が、言葉として変換されて(茎)、花が咲く(喜怒哀楽)。感情って栄養みたいなものよね?感情動かないと『無』ってことだしな…。
根から茎まで運ばれたのに花咲かない時もあるしな…。
根の感情察知できず、いきなり茎で泣く時もあるし…。
めんどくさいぞ、感情!!
結局のとこ、喜怒哀楽って誰にでもあるというか、誰もが感じたことのある感情の総称だけなんじゃないのか。
表面的?結果的?見栄えというか、なんというか…
分かりやすい、伝わりやすい、理解しやすくてされやすいだけのものなんじゃないのかな、と。
だけど、人って括りたがる喜怒哀楽のどれかに。
いやいや、それは結果だよ。もっともっと細かな小さな感情あるよってとこは無視して喜怒哀楽のどれかに当てはめて理解したつもりになる(私もな…)。
そこは個人の感性だったり、経験してきた出来事だったり千差万別なはずなのに。
親になったことがある人だけが感じられる喜びも、親を亡くしたことがある人だけが感じる哀しみも、喜怒哀楽で表せば【喜・哀】なんだけど茎や根の部分にはもっともっと細かな感情があるわけだから。
この先、もしかしたら未だかつて誰も感じたことのない得体の知れない感情に出会うかもしれないから、鈍感にならずにいたいと思うわけです。
感情の総称(勝手に呼んでるだけですが)とやらに括られず縛られずに生きていきたいと思うわけです。
人として生まれてきて、まだまだ経験したことない感情が山ほどあるとも思うから。
鈍感にならずに腐らずに…
でも一言だけ言わせてもらえば
世の中、生きづらくて仕方ないけどなー!!