朱子学がもたらした大いなる皮肉
朱子学の影響は、近世以降の日本の歴史に様々な陰影を象っています。
ざっくり言って、徳川幕府は幕府の権威をより強固なものとするため、儒学の中でも上下の秩序を重視した朱子学を推奨しました。ですがそれはあくまでも、幕府を頂点に置いて考えていたからこそでした。
ところが朱子学的に正名論を突き詰めていくと、日本の場合、どうしても天皇のことを避けて通ることができません。そして実際に、天皇と将軍の関係にまで遡って考えようとする者たちが出てきます。それも水戸藩のような身内の中に…。
こうして朱子学は、本来の目的とは逆向きの影を落とし始めます。尊王の流れが形作られ、自らもその陥穽に嵌る格好で、幕府はあえなく崩壊の道を辿ったのでした。