認識の拠って立つところ
ヒトが事物の本質や意義を捉えようと試みる時、どうしても欠かすことのできないこと。それはきっと、本来の対象と、それとは別に存在するものとの比較・対照であることでしょう。
というのも、事物それ自体は、ただそれ自体としてそこにある、ということ以上の何事も明らかにしてはくれないからです。しかし、他の何ものかと比べ、照らし合わせることによって、そこで明らかになる差異によって、それぞれは同時に、互いに寄り掛かる格好で何事かを語りだすのです。
こうした差異は、時の経過によってもたらされることもあります。ある対象が、時を経て何らかの変化を示すのであれば、それは過去のそれと現在のそれとの違いによって、何事かを開示するのです。
あるいは直観を持ち出してくる方がいらっしゃるかもしれません。しかしそれは、おそらくそれまでに蓄積された数々の対象の情報と、目下の対象とを、瞬時に比較・対照した結果であると考えられます。いわゆる勘なども、そうしたものであると言えるでしょう。きっと…。