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ひとりっこ介護

2009年3月末、骨髄検査によりフィッシャー症候群と診断された母。
その後約13年間、リハビリ病院で薬物療法とリハビリ指導を受けながら入院生活を送ることになります。

状態としては、自力で立つことはできませんでしたが、幸い腕の力が強く残ってくれたので、車いす生活ではありましたが、自分でトイレに行くことも、食事やリハビリの時間には自分で介助なく車いすで移動することもできていました。

ただ、呂律が回らない症状が強くあったので会話をしても半分理解できればいいくらいで、お互いにもどかしい思いをしていました。
わかってあげられなくて悲しい思いをさせてしまいました。


発覚した直後は、私も母も治る方向に向かうと信じていたので、時には気弱になる母を励ましながら、ほぼ毎日のように仕事帰りにお見舞いに通っていました。

そのような生活が3年ほど経ったころ、

「もう治らないのかもしれない…」


という思いが強くなり、なかなか回復しない母の様子を見るのが辛く、お見舞い帰りの車の中で泣く、お風呂に入ってるときに今日一日を振りかえって泣く、寝るために床に入ったところで泣く。
泣いてもどうにもならないけど、泣きまくる日々が続きました。

前にも書きましたが、私ひとりっこでして、、、
お世話をしてもらえるのは慣れてるんですけど、子供もいませんし、


人の面倒をみるというかお世話をすることが苦手なんです。。。


母が倒れるまで、自分に親の介護というか、そういうことが起こるなんて微塵も思っていませんでした。
自分の年齢は35歳になっていましたが、いつまでも子供のままだったんです。

これまで独身だし、自分の時間は自分の好きなことに使って、誰かのために時間を費やすとか犠牲にしてまでも、家族を守るいう経験がないので、言いたくはないですがかなりのストレスを感じていました。

やり場のない気持ちをどう開放すればいいのかわからなかった。

お世話をしてもらうことには慣れていると先程言いましたが、自分から何かを求めることはできずにいました。
誰かがしてくれるのを待つタイプ、嫌なヤツですね。

例えば、甘えるとか、相談するとか。
愚痴を言うのは得意なんですが、自分の心の根幹部分を誰かに見せることはできずにいました。

その原因というのは、自分が感じたことで言うと、両親は私の幼いころから忙しく働いていた為、ほとんどのお世話は一緒に住んでいた祖父母が見てくれていました。
ですが、どんなに可愛がってもらっていても、父や母の代わりになならないのです。
事情はわかっているけどおじいちゃんおばあちゃんじゃあ、ダメなんです。

その忙しい父や母に何か悩みを相談をすることは、両親に心配をかけることに繋がるので、どんなに淋しいくて、悲しくて、悩んでいても自分で解決する癖がつき、素直に話をすることはできないまま大人になってしまったのです。

今回の母の病気に対しての不安や、どうすればいいのかという相談事もできずにいたので、これまでどおりの解決法、
泣いて悩んで自分で解決するということをするしかなかったのです。

友達に話を聞いてもらうこともありましたが、まだ35歳くらいの頃の友達のご両親は元気に過ごされている方がほとんどだったので、話をしても不安が解決されるようなことはなく、

逆に「なんでうちだけこんなことになるんだろう…」と悲しさが増すこともありましたし、
普通のこと、一緒に出かけたり食事をすること、会話をすることさえ満足にできずにいたのでとても辛かったです。

みんながすごく羨ましくてたまらなかった。



話して少し気が紛れてスッキリすることもあったので、
それはそれとして、また病院へ向かうという日々を過ごしていました。

そんな調子で日々をこなしていると、コロナが猛威を振るう事態に見舞われます。
面会ができなくなり、病院に行っても洗濯物の受け渡しをすることしかできずにいたその頃には、母にも認知症の症状が出始めていました。

単調な入院生活が13年も続けば、痴呆の症状くらい出てくると思います。
これまでよく頑張ってくれていたと思いました。

母の入院のお世話は洗濯物やおむつを病院に持っていく役目を私が請け負い、離婚していた父が一人じゃ大変だろうからと仕事を休まなくていいように、病院の先生からの病状の説明や何かあった時の呼び出しに対応してくれていました。

父も決して健康体ではなく、50代から糖尿病を患っていた為インスリン注射を自分で打ちながら仕事を続けていましたが、心臓も弱く、軽度のリウマチもあり、入退院を繰り返す体になっていました。


そんな父が2022年10月に突然亡くなってしまいました。享年72歳。
世のお年寄りの理想的な死に方、ピンピンコロリを実践してくれた人です。
ピンピンではありませんでしたが。

父の死に関するお話は、また別の機会にさせていただきたいと思います。
これまた、いろいろ起こります。。。

父の死をきっかけに病院側から、母を施設に移してくれ
という話がなされ、私が困惑するという事態がまた訪れたのです。


なかなかのんびりはさせてもらえないですね、、、
できればもうちょっと待ってからにしてよと正直思いましたが、
後々思い返すと、この時のお話しされたタイミングは
移住話を進めていた私にとって、いいタイミングだったんです。


待ってましたとばかりに舞い込んだ、母の担当医師と看護師さんによる施設に移ってくれ話。

次回は、海外移住を考えているひとりっこが施設探しに頭を抱えるお話しをさせていただきたいと思います。

これまで読んでいただいてありがとうございます。
また、あそびにきてください。





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メリエンダ
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