テクノロジーとアナログと~不便が価値になる世界~
朝は一杯の飲むヨーグルト、ストレッチと筋トレから始まる健康に毒されている現代の文豪hirokiです。健康志向に毒されるって皮肉
急速に時代は進んでいる一方で急速に時代を取り戻している。
おいおい急にどうした。真面目ぶって学問に毒されたのかと皆さんのご心配をしっかりと受け止めながら、テクノロジーにの恩恵にこれでもかとあやかりApple Watchに魅了される中でレコードや農業、日本食などなんか古臭いなぁと思うものに心底魅力を感じている自分を整理していこうと思います。
テクノロジーがどんどん発展し、どんどん便利になっていく。どんどんお金がかからなくなっている。
スマホさえあれば必要なことは全て出来ると言っても過言ではない。
電話、写真、動画撮影、写真動画の編集、アプリを使った販売、発信、勉強、読書、ゲーム(かなりクオリティの高いものまで)、SNSをはじめとする人との繋がり
これがほとんど無料。信じられない。
Zoomでどこにいたって顔を見て話せる。SNSを見ない日なんてないんじゃないか。テクノロジーに支えれっぱなしで死ぬほど恩恵を受けていて、素晴らしいなと思う。
ただ、僕の中で最近感覚的に良いと感じるものがテクノロジーに支えられているものよりもアナログなものにシフトしている。
ふわっと思っていたものが、これだと確信に近づいたきっかけは現在関わっている腸内細菌の仕事と蜷川実花さんの写真展だ。
まずはテクノロジー代表の携帯の歴史を軽く振り返ろう。
携帯の歴史
1991年 ドコモがMOVAを発売
92年 NTTドコモ誕生
97年 ドコモがメールサービス開始、J-PHONE誕生
99年 ドコモがi-modeサービス開始 カメラ付携帯発売
2000年 au誕生
02年 写真付きメールサービス開始、いわゆる写メ。
03年 動画送信サービス開始 Vodafone誕生
04年 ドコモがおさいふけーたい Facebook創業
06年 ソフトバンクモバイル発足 Twitter創業
07年 Appleが初代iphoneを発表
08年 ソフトバンクがiPhone発売
10年 Instagram創業
11年 LINEリリース、Zoom創業
我々世代の青春時代というのは本当に1年ごとに急速に便利になったと思う。
初めて携帯を持ったのが中一の2001年でJ-PHONEだった。その時の着信音の和音数は忘れてしまったけど16和音というのがすごくいい音に聞こえていた。各メーカーにおける和音戦争がありました。
今の子供たちはイオンのwaonしか知らないかもしれませんが、昔はプリセットで入っている着信音なんてダサくて必ず好きな歌手の歌にしていました。和音数が大事なんです。
歌といっても電子音です。しかもサビだけ。
着メロサイトなんてのも流行っていました。
その電子音が単音でなくて色んな音が重なるとやっぱり良く聞こえるわけで年を追うごとに、~和音!!みたいなのが携帯のスペックになっていたわけです。
その後、着うたってのが出てきて、本物の曲が着信音に出来るようになりました。
今では歌が流れるとダサく感じる。なんだでだろ。ファッションのノームコアと連動しているかもしれない。ノームコアの風潮も終わっているように思うけど。。
インスタなんて流行っているというか、もはや常識ですが、昔はそもそも携帯にカメラが付いていなかった。
そんで撮ったはいいけど、メールで送れないし、画質なんてチェキやインスタントカメラの写ルンですの方がはるかに良かったんです。信じられないですよね。
そこでななめーるというサービスがありました。ななメールは、「abcd@docomo.ne.jp」さん宛てのメールを「abcd@docomo.ne7.jp」としてメアドを「ne7.jp」に変えるだけで画像が他社ケータイでも見られるようになります。
ななメールの機能を使って画像つきメールを送ると、届いたメールには送った本文以外にURLが付いてきます。
そのURLをクリックすると画像が見られるんです。
送られてきた画像も上から2ミリずつくらい、びっ、びっ、びっと徐々に表示されてく。懐かしい
今は考えられない。LINEがなかったのでメールといえば各キャリアのメールで、携帯買ってもらえなくてPCのメールの友達もいて、PCメールは若干ダサく感じていました。
アドレスは個性の出しどころで@前をどんなアドレスにするかでイケているかイケていないかが判断されていた。イケてるって言葉がイケてない笑
彼氏彼女が出来たらアド変メールでわかるんだよね。←アド変
foreverloveとかアドレスに入ってるんだよね。←やばい
異性にアドレス聞くのって今のLINEを聞くほどカジュアルじゃなくて緊張したのを覚えています。
スマホが出たのは大学生の頃でそこからの発展は記憶に新しいですね。
蜷川実花の写真展
書きたいことはそんなことじゃない!!前振りが長すぎました。笑
先日、蜷川実花さんの写真展に行ってきました。
この写真展の特徴は展示作品の写真が「写ルンです」で撮られているというもの。
インスタントカメラと言いながら今や全くインスタントではない。絶対的にスマホのカメラの方が性能も良い上に明らかにインスタントだ。
そこには蜷川実花といえばこの写真!という色彩豊かな花の写真は無く、東京に住む人々の日常が切り取られていた。
そこの被写体には小栗旬やキングコングの西野亮廣、土屋アンナ、ANARCHY(テンション上がった)など多くの芸能人が写っていた。
そこに映し出されていたのは自分が知っている”芸能人”ではなくて”ただの友達”で言い換えれば人の温かさ、人との繋がりだった。
今も昔も変わらないことは、人と人とのつながりが社会を支え、それぞれの個人を支えていることだと思った。
感じたことは、誰にでも日常はある。芸能人は特別じゃない。不確かなことは新鮮。ある一定のコンセプト(制限)のもとに行う事で何かが見える。
蜷川実花が”写ルンです”で切り取ったTOKYOは何かを訴えかけてきたように思う。
彼女ががそれを意図しているかはわからないが、明らかに心が揺さぶられた。
写真の加工
人間の目はとても高性能で暗くても明るくても色や距離感がある程度正確にわかる。
しかしカメラというものを通した途端、何か違う感が出る。
その瞬間、自分が見ていたものとは何かが違うものが記録されている。
今まで写真の加工というものが嫌いだった。
良く見せようと事実を捏造している気がしたからだ。
しかし最近加工するようになって気づいたことがある。それは無意識のうちに限りなく自分があの瞬間に見ていたものに近づけようとしている事だ
自分が見たままに。
そこに気持ちのフィルターも加わり、明るめなのか、レトロな感じかを決めている。
スマホはその”瞬間”に良いか悪いかの判断が出来てしまうために皆良いものを撮ろうとする。
写ルンですという不便なもので撮ることで現像してみなければどんな風に映っているかわからない「不確実性」と「刹那性」に魅力を感じた。
誰かと食事をした時や遊んだ時、家に帰って楽しかったなぁと振り返った時、大体写真を撮り忘れている。
いつも後悔するのだが楽しかった光景は頭や心の中に深く記録されている。
人間は悲しいもので、どんなに良い思い出もだんだんと色あせていくものだが、実際の写真も置いておけば、だんだんと色あせていくのでまぁ似たようなものだなと思った。
一方でどんどん思い出はキラキラした彩度の高い物になる事もある。
だから、今この瞬間、目の前で話している人や目に映っているものをちゃんと見ようと思った。
本来一番高性能である自分の目で、その瞬間をとらえることを大切にしようと思った。
腸内細菌に関わり感じていること
話は変わるが現在、腸内細菌に関わる会社で働いているが僕は全くに何も知らずに入社した。
よく入れたなと今でも思う。何も知らなすぎてやばい助けて。
そこで腸内細菌について色々知識がついていく中で感じているのは、日本の文化と腸内細菌の結びつきだ。
ブログも長くなってきたので簡潔に書きたいが、腸内細菌、細菌は人類が誕生するはるか昔から存在する。細菌=昔
そして近年次世代シーケンサー誕生によって腸内細菌の研究が急速に進んできた。次世代シーケンサー=新
腸内環境に良い物は麹、味噌、漬物、納豆、玄米など日本の文化に関わるものが多い。日本の文化=古いイメージ
農業や城などの建築物、和食。腸内細菌に関わったことがきっかけで日本の文化に意識が向き、それがとてもクールに感じている。
新旧のコントラスト
次世代シーケンサーで腸内細菌を研究する
どんな文化の食事も食べられる中で日本食をチョイスする
日本の最先端を走る東京をインスタントカメラを使って撮影する
「過去と現在」、「古いと新しい」のようなコントラストにとても魅力と価値を感じる。
コロナによってZoomで話すことが当たり前になった一方でアナログに人と会って直接話すことに価値を感じるようになった。
時代が進めば進むほど、何もかもが最新になればなるほど、僕らが置いてきた過去のものとされる物たちが輝きを増していて、それこそが最新なんじゃないかと思い始めている。
最新のテクノロジーを使って古いものに目を向けてそれを扱う事で新しい価値が創造されそうだなぁと思う日曜日の午後でした。
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