#44 キュウリと味噌マヨとじいちゃん


「もっと自然を愛さにゃおえん。」


これは今は亡き祖父の口癖だった。

田舎で育った僕の家の庭には、キュウリやプチトマト、ナスやピーマンや枝豆など、沢山の野菜が植えられていた。


小学校まで30分かけて歩いて通っていた僕は、朝起きるのが苦手で、朝ごはんを食べずに学校に行くことが多かった。


早起きした時は、いつも母親が朝ごはんを作ってくれるのだが、僕は野菜がとにかく苦手だった。とにかく食べられなかった。食わず嫌いをしているものもあったが、野菜が入っているといつも残してしまっていた。


給食でもそうだ。野菜がどうしても食べられないと、友達に分けてあげたり、最初から先生に申告して野菜を食べなかった。


ある日、隣に住む祖父母の家で朝を迎えた時のこと。祖母が色とりどりの野菜たっぷりサラダを出してくれた。庭で採れた野菜で作ったサラダだった。僕はそれを一口も食べずに残してしまった。


それを見た祖父は、生まれて初めて僕を叱った。普段は温厚で優しい祖父から、「健太、野菜は食べれるようにならにゃあおえん。お前の母さんが作った野菜じゃで。もっと自然を大切にせにゃおえんわ。もっと自然を愛さにゃおえん。」と言われた。


「祖父に叱られたことをきっかけに野菜を食べられるようになった」となればそれまでなのだが、そう簡単にはいかなかった。何を食べても野菜が食べられない。そんな日々が続いていた。


ある日、またまた祖父母の家で朝を迎えた時のこと。祖父が朝からキュウリを丸齧りしていた。祖父特製の味噌マヨにつけて食べていた。僕はそれを真似して、キュウリを味噌マヨにつけて食べてみた。うわぁ!なんだこのみずみずしさは!脳天に衝撃が走った。初めてキュウリを食べることができた瞬間だった。祖父の「美味いじゃろ〜、この味噌マヨで食べるキュウリが絶品なんじゃあ〜」と笑顔で言ってくれた。あの時の祖父の顔が忘れられない。


それ以来、僕はキュウリが大好きになった。そして、朝ごはんを食べる習慣ができた。祖父がキュウリを丸齧りしている姿を見ていなければ、あの日僕が祖父母の家に泊まっていなければ、キュウリを食べられるようになるのはもっと遅かったはすだ。


祖父は僕がキュウリを食べられるようになった日から1ヶ月後に、急に容態が悪くなり、息を引き取った。



「自然を愛す」



僕は祖父が生きている間にそれが出来なかった。今でも後悔している。天国にいる祖父に少しでも褒めてもらえるように、僕は野菜を克服しようと努力した。


祖父特製の味噌マヨは我が家にも受け継がれた。僕はその味噌マヨで、いくつもの野菜を克服した。味噌マヨのおかげで、生まれて初めて野菜が美味しいと思った。


何度も言うが、野菜が沢山食べられるようになったし、朝ごはんを食べる習慣ができたのは、間違いなく祖父のおかげだ。正直、祖父が生きている間に沢山野菜が食べられるようになったことを伝えたかった。しかし、もう会うことはできない。僕はこれからも野菜を食べ続けることしかできない。小学生ながら、そんなことを思っていた。


大学生になった僕は、定期的に祖父の墓に訪れる。毎回、必ずキュウリをお供えする。祖父が大好きだったキュウリ。祖父は天国でもキュウリを食べている。間違いなく、キュウリを食べている。味噌マヨとともに。


野菜に限らずの話だが、僕は自然を大切に出来ているだろうか。自然を愛せているだろうか。その答えは祖父に聞かなければわからない。


「じいちゃん、久しぶり!最近はトマトばっかり食べてるよ。もちろんキュウリも食べてるけどね。じいちゃんはどう?お肉ばっかり食べてる?たまには野菜も食べてよ。今日もキュウリあげるからね。」



数えた足跡は意味もなく消えていく。正解を見つける旅を、これからも楽しむことにしよう。


日々を楽しみながら、今日も朝ごはんでキュウリを齧る。もちろん、味噌マヨとともに……。

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