黄綬褒章を受賞した会長にインタビューしてみました
こんにちは!京都府宇治市の金属加工・試作品開発メーカー HILLTOP株式会社の広報です🍵
「HILLTOPのことを皆さんに知っていただくために、HILLTOPの自己紹介記事を書いてみよう✊✨」
…と思ったのですが、実はHILLTOPの創業には会長である山本正範の生い立ちが大きく関わっております。
せっかくなので今回は正範会長にインタビューをし、正範会長の紹介と会社紹介を兼ねた記事を書いてみたいと思います😆
■HILLTOPの始まり=息子を守るために鉄工所創業
1961年、鍛冶職人だった山本正明は、長男 正範のために『山本鉄工所』を立ち上げました。正範が重い肺炎を発症した際に処方された新薬『ストレプトマイシン』という薬の副作用で全ろうになったため、将来の働き口を心配しての創業でした。
その後1971年4月に法人化し、名称も『有限会社 山本精工』に変更しました。会社の遍歴については相談役である山本 昌作の著作『遊ぶ鉄工所』に詳しく書いてありますので、よろしければ、是非…😇(宣伝!笑)
■正範会長ってどんな人?
正範会長は長年の障がい者支援への貢献を評価され、2016年に黄綬褒章を受章しました👏(山城ろうあ協会文化部長、城陽ろうあ協会事務局長などを勤めました✨)
また普通旋盤の1級資格を所持する、職人でもあります!
普段からとても優しい会長。HILLTOPメンバーは会長のことが大好きなのですが、「会長のことをきちんと理解しているか?」と言われると怪しいような…(;'-' )やはり手話のできないメンバーは、話しかけるのを少し躊躇ってしまうようです。
でもそんなの勿体無い!!もっとみんな会長と仲良くしたい!!というわけで、会長がどのような人生を歩んできて、どのようなことを考えておられるのか、直接聞いてみることにしました。
■会長にインタビューしてみよう
会長は読唇術で「相手が何を言っているかは分かる」のですが、より深い話を聞くためには手話が必要になると考え、手話話者である顧問にも参加してもらいました😀
■会長の遍歴
ー 本日はお忙しいところお集まりいただきありがとうございます😀
早速ですが質問です!ご両親が会長のために鉄工所を創業された時、どのように思われましたか?
会長 「子供の時だったので、あんまり意味が分かってなかったです。『お父さんとお母さんが、なんか始めたんやなあ』という感じ笑」
ー 確かに、幼いとまだよく分からないですよね。お二人が工場のお仕事をするようになったのはいつ頃からですか?
会長 「小学校6年生の時には、棒材を運ぶなどの手伝いをしていました。中学1年生の夏休みにタレット旋盤の使い方を教えてもらったんやけど、それがすごく楽しかった!夏休みが終わってからも、放課後、家に帰ったら旋盤作業をするようになりました。夜中もやりかったけど、母親に『寝なさい!』と叱られて出来なかった笑」
ー 今の会長の片鱗を感じますね…(※会長は「趣味は仕事」と断言されるほど、工場作業が大好きです)。顧問もお手伝いされていたのですか?
顧問 「小学生の時に、夜食番をやっていたのは覚えているなぁ。工場で働いてる大人たち5名分のチャルメラをよく作っていました。少しだけ残して、つまみ食いするのが楽しみやったね。工場の仕事で言うと、高校は工業高校に進学したから、そのぐらいの年齢から手伝い始めたかなあ」
ー そうでしたか。会長はどんな学校に進学されたのですか?
会長 「小学校から高校まで、京都府聾学校に通っていました。小学校の頃は家が遠かったから、毎日母親に送り迎えしてもらってたね。高校卒業後は、山城高校の定時制に行きました」
ー 聾学校の高校はご卒業されてるんですよね。その後にまた高校に進学されたんですか?
会長 「はい。もっと勉強がしたかったので」
顧問 「クラスの中で、ろうあ者は会長1人だけやったんやで!」
会長 「その後、社会福祉を勉強するために大学に進学したくて、立命館大学を受験しました。でも6点足りなくて不合格だったんです」
ー 初めてお聞きするエピソードがいっぱいです!では会長は山城高校卒業後、山本精工に入社されるのですね。その後、弟2人(相談役・顧問)も家業を継ぐため入社されますが、どのように思われましたか?
会長 「特に何も…。この会社は何度も大きな変化を経験しているけど、自分のやるべき仕事は一貫して変わらないと考えています。なので兄弟2人が入社した時も、特に何も思わなかったです」
ー なるほど〜。ちなみに兄弟喧嘩とかはなかったですか?
会長 「顧問とはあんまりなかったなぁ。相談役の方が多かった!笑 でも兄弟なんて、そんなもんですよ」
顧問 「しょうもないことでいっつも喧嘩してたよな。でもまぁ、ほんまにしょうもないことでね。ごはんの量とか笑」
■ろうあ協会について
ー 会長は2016年に、長年の障がい者支援が評価され黄綬褒章を受賞されていますね。 受賞を聞いた時、どんな気持ちでしたか?
会長 「嬉しかった!でもなんで自分が選ばれたのか分からなくてびっくりしました」
ー 受賞を経て、何か変化はありましたか?
会長 「特に変わらないです。会社の変革の時もそうだったけど、周囲に色々変化が起きても、自分がやるべきことは変わらないと思っているので」
ー ろうあ協会ではどのような活動をされているのですか?
会長 「聴覚障がいのある人に、困っていることがないかヒアリングしたり、助け合いのコミュニティを強化するために交流会を実施したりしています。本当はHILLTOPのみんなにももっと手話を広めたくて…広報が社内ツールを使って、社員のみんなに手話情報を発信してくれているのは嬉しいなと思っています」
ー 社員のみんなとは読唇術でコミュニケーションを取られていることが多いですよね。
会長 「はい。ゆっくりと大きな口の動きで、標準語で話してもらえればほとんど分かります。方言はわからないかも笑 」
ー そうなんですね!「手話ができないから」と諦めないで、どんどん会長に話しかけても良いですか?😳
会長 「もちろん!いっぱい話しかけてください。製造部のメンバーはよくコミュニケーションを取ってるけど、それ以外の部署の人だとなかなかお話しする機会がないのが私も気になっていました。たくさんお話ししましょう!」
顧問 「俺も会長の息子たちも、きちんと手話を習ったわけじゃないよ。コミュニケーションを取る中で自然と身についたというか…結局は伝えたいという想いが大切やと思う!」
ー ちなみに会長は、外国語の手話も勉強されてますよね?
会長 「はい。30年ほど前にアメリカ人の方と仲良くなって、文通友達になりました。それをきっかけに英語手話の勉強を始めて、今でも続けています」
■普段の生活
ー 今でもバリバリお仕事をされていますが、健康の秘訣はなんですか?
会長 「健康的な食事!25年間、朝ごはんのメニューは変えてません。まずトマトジュースを飲んで、次にバナナと牛乳を少しずつ食べる🍅🍌🥛がぶ飲みはだめです。食事は抜かず、3食きちんと食べてます」
ー お休みの日は何をされてますか?
会長 「ゆっくりするのってあんまり性に合わない。仕事が趣味です笑 忙しく働いた後に、マッサージチェアで寝るのが好きです」
■これから
ー 今、何かやりたいことはありますか?
会長 「いっぱいあります!現在、71歳ですが、いつまでもテキパキと仕事ができるようでありたい。頭もちゃんと使っていたいです🧠」
ー いつまでもお元気で、一緒にお仕事させてください!では最後に、HILLTOPメンバーにメッセージをお願いします
会長 「普段から一緒に作業している製造部のメンバーには、本当に感謝しています。色々なトラブルがあってもすぐに対応してくれて、ありがたいと思っています。最近はコミュニケーション不足を少し感じているので、積極的に交流を図っていきたいです。製造部以外の皆さんも、たくさんお話ししましょう!
また、全ての基本は健康な体があってこそだと思います。皆さんくれぐれもお身体には気をつけて。これからもよろしくお願いします」
■最後に
私は製造部でもなく、手話もできないので会長とは挨拶ぐらいしかお話の機会がありませんでしたが、今後は積極的にお話ししていきたいと思いました✊正範会長、これからもよろしくお願いします!😎
▼正範会長が黄綬褒章を受章した際に、京都市聴覚言語障害センターさまが取材してくださったVTRです。よろしければご覧ください😀
2017年8月「わ 聴言ビデオニュースVol.158」
社会福祉法人京都聴覚言語障害者福祉協会 京都市聴覚言語障害センター 聴言ビデオニュース「わ」【vol.158】 山本正範を生きる~こだわりがカタチになる~
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