【随筆】あちらのお客様になろう
誰もがやってみたいシチュエーション、堂々のNO.1
「あちらのお客様からです。」
バーであちらのお客様側になってみたい。誰しもが人生一度はそう思うだろう。そこで今回は、あちらのお客様側になる為にはどうすれば良いのかを考察してみたい。
まず初めに、お洒落なバーに一人で赴き、カウンターでしっぽり飲んでおく必要がある。この時に飲むべきお酒は、ウイスキーでもラム酒でも良いが、ストレートかロックであるべきだ。男がファジーネーブルやカルーアミルクなどといった、軟弱な甘いカクテルを飲んでいてはいけない。ここは硬派に攻めるべきだ。
小さなグラスを目線の高さに掲げ、それを物憂げに見詰める。時にはマスターに話しかけても良いだろう。
「マスター、人生って何なんでしょうね」
意味深長な会話をしつつ、煙草に火をつけたい所だが、その選択はここではNOだ。一人でしっぽりやる分には問題ないが、今重要なのは、あちらのお客様になるという事。世間では喫煙に対する風当たりが日に日に強くなっている。特に容姿端麗黒髪の乙女ともなれば、その傾向は特に強くなる。彼女にあちらのお客様として、酒を振る舞う為には、煙草は吸わない、ギャンブルはしない、お酒も程々、趣味は多肉植物と珈琲、読書といった本物の紳士であらねばならぬ。
カラン。ドアベルをならして、乙女が一人入店してきた。店内を見渡して、バーの持つ瀟洒な雰囲気と、知る人ぞ知る隠れ家的雰囲気を胸いっぱいに吸い込んで、自分からは三席離れたカウンターへと座る。チャンス到来である。
この時に気をつけたいのは、焦らない事。初めの一杯は乙女のセンスに委ねる事。せっかくバーに来たのだ。バーカウンターの後ろに並ぶ、魅惑的なお酒達を眺める事をまずは楽しまなければならない。今彼女は「私を飲め、幸福になれるぞ」「いや、俺を飲め、大人の階段を登らせてやる」「コココココ、私を飲みなさい。それこそが天下の大将軍への一歩ですよぉ、ンフ」と誘惑してくる酒精達に目を爛々とさせているだろう。
そうして吟味して選んだ最初の一杯を、彼女がある程度の所まで飲むのを待つ。待っている間は変わらず、物憂げな顔をしてグラスを眺める。マスターと人生の話をする。彼女をチラ見する。煙草は我慢する。紳士たれ。
紳士たる事にも飽きた良いぐらいのタイミングでマスターを呼び寄せ、乙女に振る舞うお酒をオーダーする。この時オーダーするお酒はヴァイオレットフィズが良いだろう。スミレの香りと炭酸のシュワシュワ感、程よいレモンの風味で甘過ぎない、清涼感の溢れるカクテルである。色は綺麗な紫。このカクテルの別名はパルフェ・タムール。日本語に訳すとその意味は完全なる愛。容姿端麗黒髪乙女に振る舞うには申し分無いカクテルだ。
さぁ、これで準備は整った。あとはあなたが、「あちらのお客様」になるだけだ。