感性が震える事
僕はどうも自分の感性が震える事が好きなようです。
その事に気がついたのは同僚の開いた『とろ火』という読書会のような話す会の事を思い出したときでした。
誰かの話を聞いてわぉ…と感性を震わされ、そのような感動を元に話をしている時は脳が痺れるような時間で、生きているという実感があります。
この文脈で僕の関心事である「話の場」「連画」に一本筋が通せたようで嬉しく思い、ここから順にお話させてもらいます。
話の場
今年は読書会的な場に何度か参加しました。
振り返ればとても楽しい会だったことに気がついたので、来年はより自覚的に沢山参加できたら良いなと思いました。
Sakk Biblio
『般若心経』
『銀河鉄道の夜』
ワークテラス交流会
Awai 『座Talk』
『宮沢賢治と一人出版社のこと』
とろ火
『12/11 “手づくりの語り”を探って in喫茶あるいは』
このような楽しい状況とはどんな状況なのか、今後は連画も含めて難しいですが言葉にしてみたいです。
連画のやり取りも「座を囲む」という感じが話の会に似ているのです。
連画
今年、本家の連画はAI生成画像が解禁になったため実験的なセッションとなった。
AI画像生成は初めてだったけれど、とてもおもしろかった。
生成画像を横目で見ていた姉が直ぐに「芸術家いらないじゃん!」と言ったけれど、確かになかなか衝撃的だった。
生成について僕は終始以下の事を試していた。
「AI画像生成は自分がグッと来るような絵が描かれてくるのか」
それは映画『her』のOSの恋人のように、AI生成画像に恋できるのだろうかという感じですね。以下その中で生成したものです。タイトルは連画の中で付けたものでもあります。
AI生成画像 女性像
なかなかと魅力的な絵が描かれたと思った。
(プロンプトにセクシーと入れてみても全然セクシーにはならなかったが・・・)
次は連画の中で描きたい絵を作り出した画像。
AI生成画像 その他
方法の一つとして写真をもとに生成することでトーンと構図がコントロールできることに気が付きました。
AI生成画像の著作権的な感覚
そして著作権的な感覚としては、自分が生成したものについては「雑に扱われたら嫌だな」と思ったのことも発見でした。
自分が関わる要素はそれほど無いわけですが、自分のモノであるという意識がちゃんとありました。
連画とAI画像
AI画像生成自体はとても楽しめたのだけれど、連画においては少し乗り切れなかった。いつも皆勤賞なのだけれど、今回7割くらいの参加になりました。なぜかという理由も興味深いところではあるがよくわからない。
その中で従来の写真の良さも再確認できた。
従来的な写真の連画の良さ
下の写真3枚に僕の写真は含まれていないけど、これらは本当に素晴らしかった。シーリングファンもミッフィーもここで彼らの歴史上で最高に輝いていると思った。
これも自作ですがお気に入りのものです。
『歌を思い出したカナリア → 歌になったカナリア』
『命と穴』
農
農についてはまだどういう興味なのか見えてこないのは体験の量が足りないからか。引き続き学びたいなと思います。
養鶏
養鶏の複業は進めてみたいけれど、複業として毎日の世話を考えると場所が近くないと無理で、住む場所を探しているのでそれが決まってからかなと思っているところです。
養鶏の本を読んで面白いなと思ったのは、卵質を向上させるために必要なものとして緑餌(雑草)と腐葉土があって、平地で飼うとそれを自前で用意しなければならないのですが、山林で飼うと地面に自然に用意されているというところで、山林が資源として見えるところ。
実際に東北の山の中で山林を柵で囲って、そこで飼育し、食品工場の不要な端切れをダンプで運んで下ろすだけという飼い方をしている人がいるそうで興味深い。
もうすぐ6歳になる子供の教育にも興味関心は尽きないし、来年も楽しみなことが沢山ありそうです。