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「演劇の劇は劇薬の劇、劇(はげ)しいほど面白い」

他人の不幸は蜜の味

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劇作家の菊池寛(1888~1948)は、「演劇の劇は劇薬の劇、劇しいほど面白い」と、物騒なことばをのこしています。たしかに「ドラマチック」(dramatic)という英語も、劇的と訳しますね。

菊池寛は作家として名作を残しているだけでなく、株式会社「文藝春秋」を起こした実業家でもあります。大正12年(1923)年の創刊号には、芥川龍之介、川端康成、横光利一など、のちに文豪と呼ばれるそうそうたる作家が寄稿しています。

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文壇の登竜門ともいえる、「芥川賞」や「直木賞」を創設したのも菊池寛ですが、昭和34年(1959)には、総合週刊誌「週刊文春」を創刊。芸能界や政官界のスキャンダルをスクープする、「文春砲」は社会現象を引き起こしています。まさに「劇薬」をまきちらすメディアとして、菊池寛の意志を継いでいます。

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人生ドラマの喜怒哀楽は、ひとの数だけこの世にひしめいていますが、人生の縮図ともいえる占い鑑定の場でも、あらゆるドラマと接しています。なかにはあまりの悲惨さに、「神も仏もいないのか」と天を仰ぐこともあります。

他人の不幸を、わが身のしあわせと引き比べて優越感にひたる、「他人の不幸は蜜の味」というブラックユーモアは、誰の心にも潜んでいるさもしい性(さが)を、自嘲的にからかったものです。

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「運命を好転させる、易と成功法則」

よほどのペシミストでない限り、ひとはみなラッキーチャンスを待ち望んでいます。幸運をキャッチするハウツー本の出版は、雨後のタケノコのように後を絶ちませんが、「マーフィの法則」で世界的に著名な、ジョセフ・マーフィには、「運命を好転させる易と成功法則」の一書があります。

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周知のようにジョセフ・マーフィ(1898~1981)は、アイルランド人の牧師でしたが、潜在意識を利用し、操作することで自分自身や周囲の人たちも、成功・幸福へ導く「潜在意識の法則」(マーフィの法則)で、日本でも一時、ブームになりましたね。

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易経に縫い込まれた深遠な東洋思想を解釈する、マーフィの読解力の深浅、濃淡については、読者の判断に任せます。神学者であると同時に薬理学や、化学の学位をもつ彼が、ひとの生きる指針として「易経」を取り上げてくれた英断に、言いしれぬ喜びを感じています。

「悩みの相談室」と占い鑑定(易)の違い

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易の教義には、「ものごとが究極まで進行したときに変化が生じ、新しい道が開ける」とありますが、易による占いは、その人の運気が上昇中なのか下降しているのか、ピークに到達したのか、それとも底を打っているのかなど、現在のポジションを見極めることからはじまります。

マスコミに登場する「悩みの相談室」では、答えを出す側の経験則や世間の良識、ときには志操堅固な道徳論を物差しにして、ジャッジを下そうとしますが、占い鑑定とは判定のスタンスが根本的に違います。

東洋の占術では感情や感傷はいっさい排して、現象のなかに隠れている事実を掘り起こすことで、クライアントの抱えている悩みを解決する、具体的な施策を見出そうとするものです。

「易経」を遺してくれた先達が、天の日月星辰、地の山川草木の観察によって、宇宙の広大無辺な循環(circulation)の思想にたどりついたように、運勢鑑定にもモラルや情動などが、入り込む余地はありません。

ひとの心とカラダは、宇宙のサイクルとリズムに順応しながら生かされいるという、原理原則を遵守しながら、冷徹な観察眼でクライアントと向き合う自覚の有無が、占い師心得の第一義だと自戒しています。

ニヒルなクールさだけで、ひとの心のヒダに分け入るのではなく、自然の風雅や造形物を愛でるのと同じように、慈愛をもってクライアントと接することも大切です。

人生はサバイバルゲームの消耗戦

ひとの遺伝子には強弱の差はあっても、一様に闘争本能がセットアップされています。人類の歴史は今に至るまで、戦争の歴史と密接に重なっているのです。

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孫氏はもとより、16世紀に世に出されたマキアベリの「戦術論」、戦略書の雄と評価されているクラウゼヴィッツの「戦争論」(1832年)、毛沢東の「持久戦論」(1938年)、リデル・ハートの「戦略論」(1967年)など、戦いを勝利に導く教科書が、世界の将軍たちの座右の書として読み継がれてきました。

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矢弾が飛び交う戦場に身をさらす将兵だけが、戦いを強いられているのではありません。人はみな生ある限り、サバイバルゲームに身を投じているのです。前述した戦いの書が軍人だけでなく、ごく普通の人たちの蔵書に加えられているのも、ひとの生存競争の苛烈さを示唆しています。

今に生きる「不敗の本質」(孫氏)

ひとの肉体は125年、脳は300年もの耐用年数を与えられながら、あり余る時間を放棄してまで死に急ぐのは、消耗戦の激しさに燃えつきてしまうからでしょうか。

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孫氏の「不敗の本質」には、次のような一文があります。

ー 自分の努力による体力や知力の向上こそ、負けない本質であり、敵の実力の向上具合や、敵がこちらに弱点をさらすか否かは、敵次第ということが、勝つことの不確実さにつながっている。 ー

自らの努力を怠り、ライバルのミスやエラーを期待していたのでは、勝利の女神も裸足で逃げ出すのは当然のことです。孫氏の軍形編には、次のように加筆されています。

ー あらかじめ勝利する態勢を整えてから戦うものが勝利をおさめ、戦いを始めてから、慌てて勝利を掴もうとするものは、敗北に追いやられる。 ー

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戦いに限らず、ことを始める前の時間が長いほど、綿密な計画立案が容易になり、計画を成就させる選択肢も多くなります。時間の経過につれて選択の幅はせばまり、事態が悪化したときには、時が選択の余裕を与えてくれません。拙速と焦燥感から事態はますます悪循環に陥り、もがき苦しむことになるのです。

ものごとの失敗と成功の分岐点は、計画を練る時点の決断で、左右されることになることを肝に銘じるべきです。

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