ニートによる村の乗っ取りは、村側にもメリットがあるから、やった方がいい。
私、これ、当然だがありだと考えている。何よりニートが村を乗っ取ってしまうというのは考えただけで楽しそうではないか。というか、彼らよりも随分と前に言ってた事だったりするのだが、一定勢力になったら、地方行政にも議員を送り込めばいい。実はこのような乗っ取りは宗教団体とかが使う方法なんだけど、現段階においてさえも過疎化してるのだから、限界集落は無人になるのは目に見えて居るのだし、お互いの利害にも一致してるんだからこれはやった方がいい。
ニートによる村の乗っ取りだが、やっぱり都心から離れているとか、医療体制が脆弱だとかそういうデメリットがある所をどう考えるかだ。その代わり、水は美味しいし食べ物も旨い。車は無いけど免許は持ってるし、取り敢えず料理は、普通に自炊するレベルには出来る。私にとってはさして不便な事は少ない。
辺りに人も居ないからピアノも弾き放題だし、防音設備が無くとも、深夜にマーラーの交響曲を大音量で鳴らし放題出来る。都心だと畑さえも出来ない。手狭を理由に手控えていた事も出来る。都心は金がないとやりたい事が出来ない。最終的には過疎地に生活するデメリットをメリットとして活用できるかという点に掛かっている。
しかし、何よりも田舎への移住での一番の最大の問題は人間関係だ。大抵、移住で失敗する人はこのパターンが多い。村社会に適応する事は本当に大変で、中には本当にただ単に屑なだけという所もあるんで、そういう見極めも大事だろう。
例えば、原発誘致の補助金頼りの市町村なんかは論外であるが、中央からの金を口を開けてパクパクさせている事しか頭に無い愚劣な地方自治体なんか掃いて棄てる位に山のようにある。
残念ながら、日本の社会はものを知らない上に倫理的にも劣ったレベルの低い連中が多いので、日本はここまで腐ってしまったのだ。
実を言うとどっちが楽なのかというと、それは明らかに都会の方が楽ではある。現状維持の方が楽だし、仕事も無いし金も稼げない、しかも人間関係の縛りがキツい。だから、みんな田舎に移住しようとしない。
だから中途半端な田舎は最初から考慮には外しておくべきだ。地方都市などただの中央の植民地に過ぎないのだし、住んでる人口が多過ぎる。そういう所は土地の若い世代も居るから乗っ取りには全く向かない。だから狙うべきなのは、後期高齢者しか居ない限界集落で、まず土地の若い世代が居ない所だ。そしてそういう所は確実に労働市場から取り残された辺鄙な所にある。
いずれそこの老人達は遅かれ早かれ死んでいくだろうし、老齢になれば病気や怪我という事態が想定されるんで、病院で過ごすか、どこかの施設に入るか、家族が面倒をみる為に引っ越しをするか、選択肢としてはそんな所であろう。彼らにも子や孫は居るだろうが、その老人達の死後、彼らは限界集落には帰って来ないであろう。何故ならばお金になる仕事が無く、消費者としての暮らしを過ごすには不便だから。誰も居なければ荒れ果てて、そこで数百年、下手をしたら千年以上続いた文化や伝承が途絶えるのだ。そしてそういう人々の文化や知恵やノウハウを継承する機会はもう後がない。そして失われたものは取り戻せない。そうなる前に彼らの遺産を少しでも継承しておいた方がいいと思う。今の社会の仕組みがそのままで現状維持が出来ると思ってたら大間違いだからだ。
そして本当の勝負は、彼らが居なくなってからだ。自分達できちんと自治が出来るのかという点が問われて居る。
どのみち山奥だと、冬は寒いから薪ストーブをやるにしても、間伐材を集めなくちゃいけないし、何らかの形で働かなくてはいけない。それは労働と呼ばれるお金に換算される行為とは違うものだ。
勿論、毎日1日中ゲームをやってても構わないんだけど、寒い冬は嫌でも到来するわけだし、食糧だって近くにコンビニがある訳ではない。だから食べ物の準備はしておかなくちゃいけないし、冬支度はしないといけない。空き家があっても、そのままでは使えないというケースもあるだろう。その場合、ある程度のdiyは求められる事になる。そして、何よりもそれをやる事が必ずしもお金に結び付く訳ではない。そういう所を受容出来るのかという事だ。人が自然に対して働きかけをし、自然にあるものを加工し、生活に役立つように用いるという、人が働くという本来の意味を再び発見する事になる。
ユナボマーことセオドア・カジンスキーはずっとこの問題と対峙し続けていたのだし、産業社会の行く末の先には徹底した管理社会でしかない事を訴える為に、あんな爆弾テロを繰り返したのだ。恐らくは「産業社会とその未来」と名付けられたユナボマーマニフェストと呼ばれるマニフェストは、あのようなテロを止める条件として大手新聞に掲載せよという要求でも無い限り、誰からも読まれる事は無かったであろう。ユナボマー・マニフェストを社会的に孤立した人物が行き着いた狂気の産物であると多くの人間は考えるのであろうが、果たしてあれは狂気の産物で済ませて良い内容であるのか?
世界的なパンデミックを契機に、それ以前から着々と進行していた管理社会がすぐ目の前まで来ている以上、ここで問題提起されている事はしっかりと考え、答えを出していかなければならないのではないだろうか?
労働力を切り売りして賃金に替えて、それによってかえって生活が苦しくなるという負のスパイラルに対して、そろそろ我々少数派は多数派と全く違う可能性を模索しなければ、人類はどうしようもない形で滅んでしまう事になるのではないのか?
しかし、丹波山村役場の見なかった事にしようというツイートにはウケた。こういう話を面白がれるというのは、ここの市町村は実にしっかりしているというのが伺える。ささやかながら希望を見出だせそうな話だと思った。
https://sirabee.com/2019/05/09/20162078283/