柚子のアチャールの味見

柚子のアチャールを試食してみた。まだこなれてる感じではないが、中々、美味しく仕上がっている。唐辛子の量が多かったのでちょっと辛い仕上がりになった。

辛いのが苦手な人はダメだろうが、アチャールはダルを初めとして色んな料理に相性が良いと思う。柚子の香りを活かしたかったので、シンプルにフェヌグリーグを使った。まずは意図通りに仕上がった。

今回、徳島県の樹齢100年の柚子の古木の恵みを噛みしめながら、実は柚子を食べるのは太陽を食べているという事ではないのかと、ふと思った。柚子のあの色と香りは日が短くなった冬の日々に、どこか燦々と輝くお日様の光を連想させるものがあり、柚子は心に光を与えてくれる。そしてこの主観的な思いを抱くのは、何も私だけではないようで、日本の伝統的な風習として冬至に柚子のお風呂に入るというのがある。実際に柚子のお風呂は身体も暖まる。そして、そういった定期的に行う行事の背景には儀礼や信仰があり、それを育む風土がある。

季節の旬のものを食べる事は、決して栄養だけの問題ではない。毎日の食卓でご飯を食べるという事は、日々の営みのその背景にある文化や思想を自らの血肉にするという事なのだ。今、この世界から、そういう血の通った文化が根絶やしにされようとしている。

単なる自炊の話でしかない事ではあるが、こういう事を書くのも、この流れに抗う為の試行錯誤なんだなと思う。

我が家は貧困に陥っている8050問題の当事者なので、もう長いこと御正月の御祝いの行事も殆どやる事がなくなって久しい。子供の頃は鏡餅も家で作ってお供えし、御節も黒豆や紅白なますや栗きんとんなど家で母が作っていた。味噌も自家製だった。でももうそれらはやらなくなって随分と久しい。何故ならば御節料理を作っても沢山は食べきれないからだ。そうなると御節を買ってくれば良いだろうけど、御節を買うだけの経済的な余力があるわけではない。そういった事情もあり、今では御雑煮を炊いて、いくつか買ってきた数の子や黒豆や蒲鉾等を少し添えるぐらいなもので、それに酒を添える位なものだ。

寂しい事ではあるが、家の行事や文化を次に伝えるべき人間が誰も居ない。私の世代の多くにはおそらくは孤立死する未来しか約束されては居ないだろう。おそらくは先祖の位牌もどうするのか考えておかなければならない。なぜなら私は結婚にも子どもにも無縁であったから。今、急速な勢いで伝統的な生活様式の知恵が失われ、貴重な建造物も相次いで壊されていっている。そして社会インフラも棄てられる事になる。既にその兆候はあちらこちらで起きている。

おそらく、あと十年もしたら、今よりも更に伝統文化がズダボロにされ、更に殺伐とした状況になっているであろう事は想像に難くない。

昔、インドにホームステイしてて感じた事があって、それは彼らの食における保守性という事だった。

インド料理の漬物を、日本人が日本の食材を使って作ったのだけれども、当然、そこには日本で産まれ育った感性に根付いた味にならざるを得ない。柚子のアチャールを試しに作ってても、私はやっぱり日本人なんだなと否応なしに実感する。



右や左の旦那様、人生オワコンの中年ニートのキモいオッサンにも、お恵みを.... 愛の手を... と書いてみたけど、こんな糞ニートをサポートする奇特な方などおりますまいが、それでも人生オワコンの引きこもりの糞ニート、出来るだけ面白い記事を書くように頑張ります....