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あのとき自分にしてあげられなかったことを

みんなに聞いてほしいことがある。わたし、また無職になります!

 

わたしの動向をなんとなく追いかけてくれている数少ない変態の方々は、わたしが去年約1年間、風を肩で切りながら全力で無職をしていたことをご存じだろうが、またそんな日々が始まる。大好きでとても楽しく働かせてもらっていたお店が閉店することになったからだ。悲しい。職場って普通になくなるんや。ほんとにそう思った。

そしてそれと同じ時期、わたしは組んでいた相方との音楽活動を一旦おしまいにする決断もしていたので、なんとまあ重なることってほんとに重なる。でもね、強がりでもなんでもなく、この先も何の問題もなくぜんぜん大丈夫なんだろうなって、なんなら少しこの状況を楽しんでいる自分もいたりするから不思議なもので。

 

それはたぶん、去年1年無職でも大丈夫だったから、まあ今回も大丈夫やろ、とかそんな感覚からくるものではなくて、自分に対する信頼度が変わったからだと思う。


去年1年、全力で無職をしていたわたしが何に全力だったかというと、パワーアップするために自己啓発本を読むことでも、可憐にお花を活ける趣味を始めるでもなく、自分をただひたすらに見つめて、認めてあげることだった。

苦手や目標に向かって走り続けること、それが正しいと思っていて、ちょっと自分を頑張らせすぎてしまい、毎日がうまく生活できなくなった経験があったので、どんな些細なことも、見つけたら全部とにかく受け入れて、認めた。

理想通りに朝起きられない小さな自責も、誰かに対して沸いた怒りや嫉妬も、一人で過ごして寂しいと感じる孤独も全部、否定も肯定もせずに、そこにあるもの、あって当然のものとしてただ認めて受け入れる。これがな、めちゃくちゃしんどいんや。


みんな、どこか目標があることに救われている自分がいたりしませんか?例えば、めっちゃしんどい仕事、実りそうにない片思い、自分の苦手を克服することなど。
頑張ることって最高に素敵なことだけれど、頑張ることが目的になってしまって、頑張ってるから大丈夫と自分を安心させてしまっているところはないですか?盲目的に頑張るって、とても気持ちがいい。けれど、もしかしたら本当の自分はそれを望んでいないかもしれない。

さっき上で挙げた、「ただ認めて受け入れる」。これには目標もなければ終わりもない。否定も肯定もしないから目標がないし、正しいも間違いもないからわかりやすい結果は何も訪れない。けれど、わたしはこれを自分にしてあげる人生を選ぶことにした。体を壊してしまった過去もあって余計に、もう自分が自分にかわいそうなことはしたくないと強く誓った部分もあったと思う。

 

そして「ただ認めて受け入れる」には終わりがないと言ったが本当にそうで、生きているとマジで永遠にそのチャンスがある。ありすぎる。感情は日々、どんな瞬間も沸くものだから。

 

・器用に人とコミュニケ―ションが取れるあの人への嫉妬

・猛烈に異性にモテるあの人への羨望

・やりたくない仕事を人に押し付けるあの人への苛立ち

 

細かいところまで挙げてしまうと「あのときあの人の部屋で嗅いだお香の匂い」とか「吸い込んだ空気が冷たくて鼻がツンとした」とか「駅前の長いこの道、あのときに通った道と似ている」とか。おセンチですね。こんなふうに心は常に、五感を通しても何かに反応しているのだ。もちろん楽しいや嬉しいにもすべて。

全部見つけて受け入れるは無理。ぜんぜん無理だしそこまでやる必要はないと思う。死んじゃうから。やりたい人はやればいいと思うけどね。でも、生きづらさを感じてるときは、ちょっと一旦立ち止まってやってあげたらいいんじゃないかと思う。

 
だって、沸いてきたその感情は、もうすでにあるものだし、それは紛れもなく自分なのだから。たとえ理想的な自分でなくても。
誰にも気づかれないし、気づいてもらえないものなのだから、自分で見つけて受け入れてあげるしかない。そうしないと、その欠乏感を頑張ることや、人からの承認だけで埋めなきゃいけなくなっちゃう。埋まらないものを一生、内側(自分)じゃなくて、外側(他人)に求め続けることになってしまう。そのとき受け入れてもらえなかった感情が別の何かで埋まることは残念ながらないし、あったとしても長くは続かない。
その気づいてあげられなかった感情、置いてけぼりにした感情が大きく膨らんだものが、もしかするとトラウマと呼ばれるものなのかもしれない。


わたしは、今でもぜんぜん上手には生きられていない。自分のモヤモヤをうまくわかってあげられず身近な人にぶつけてしまったり、「受け入れる」じゃなくて「責める」をやってしまったりして、たまにうまく眠れなかったりもする。けれど、それでも「わたしは自分の心にきちんと耳傾けてくれるし、受け入れる努力をしてくれる」と、わたしのことをとても信頼している。
これは今の心に限った話ではない。過去の自分が自分にしてあげられなかったことを、少しお姉さんになった今の自分が受け入れてあげたりもする。小さな頃の自分を迎えに行くような感覚で。何をやっても変えることのできない自分の心の動きの癖は、過去の経験の積み重ねからきているものだったりもするから。だからもうわかってあげる。
きっと、自分を愛するとは、こういうことを日々自分にやっていくことなのだと思う。認めて受け入れることにわかりやすい結果は何もないとさっき書いたが、あるとするならば、自分に対する愛や信頼感が増すことなのだろう。

だから、わたしは無職になっても大丈夫。本当にそう思っているけれど、もし生きるのに困ったら、ふつうに野菜とか送ってください。みんなたすけて。

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