家の呪縛(地域編)

私は全国回って、その地域の年寄りの状況とか、家の構造とかを見て、色々考えるのが好きである。


北海道は今まで6回行ったが、2年前に行った頃だろうか。道民というのは家に対するしがらみがない人が多い事に気づいてきた。

×があろうと独身者のみかもだけど。本州の田舎にありがちな、「家」とか「親」とかの呪縛を受けてる人もいないし、その概念が分からない人がほとんどだった。理由は簡単で、移住者が大部分で、祖父祖母の代くらい程度の歴史しかないから。

私が自分で「家」の呪縛のために人生棒に振ったせいで、そういう価値観の違いとかに凄く興味があるから気づいたのだが。若い人はちょっと違うかもしれないし、女性で嫁に来た人とかなら、日本流の家制度に馴染んでいるかもしれない。

比較対象しないとその辺の事も自覚がない人もいるかもしれないが、茨城とかは特に、まだ家制度的な残っている部分があると思う。

それにも理由があり、生まれた家が大きくて、蔵や納屋などがあって敷地内に家が2件あるような事が、そこまで珍しくないんだ。

この辺は家の構造を見るとすぐに分かる。広い屋敷に建物が複数建っているような家は、少なくとも家族の1人は家に残って、親と同居する前提で建てられているのだ。

その辺が子世代の家族関係や家族関係や人生に、大きな影響を与えている場合がある。家の方も特に独身の長男・長女などが実家に寄生するように張り付いている場合がある。

と言う書き方をしたが、子世代の立場としたら逆である。自分が出ていったら親2人には広すぎる敷地と沢山の建物を維持出来ず、家が崩壊してしまうんだ。私は祖父母両親から、家から出られないように育てられた面がある。「親を越せない教育」と言うのが日本の根底に根付いていると感じている、政治の面までも。

ただ、都心部でないと土地が広い家に限らない。家を出そびれた人間の、結婚とか引っ越しとかの話になると、「家が~親が~」と言い出す人が多い。そ

の辺の意識が足枷になる面もあるか、家の地域では、長男(男の子がいない家なら長女が)、40代50代になっても独身でいたりするのって珍しくない。

私は持病があるし、人生崩壊するほどの影響があったが、何とか生活出来てしまう人間だったら、結構疑問も持たないまま年老いてしまう事が多いと感じる。

この辺の概念を北海道の人に話すと、大体驚かれる。驚かれると言うことは、本州の人間と自分達に、そこまで価値観の違いがある事をそもそも知らないと言うことである。

聞けば本州の因習の方が良くない感じがするだろうが、この辺は経済状況によるとしか言えない。専業主婦手取り8万以下の年金で生活出来るなんてのは、家族数が多くて世帯収入がそれなりにある場合の話だけである。

実際、介護施設間転職が多いが、職員に多いシングルマザーや×1女性の生活は、単身の場合の方が遥かに厳しい。一言で言うと貧困世帯が多い。

介護福祉士を持っていれば習うんだが、家庭や家族には生命維持機能やケア機能など、色々なメリットもある。早すぎる自立での出産や、女性に限らず低収入での1人暮らしは、自分磨きにかけるお金もかけられないのである。

放送大学で貧困の連鎖的な回を聞いた事があるが、単身で貧困状態で社会に出てしまうと、貧困から抜け出せない。ただ、ある程度の実家があって戻ることが出来れば、その間だけでも資格取ったりとか出来たりする(中途でのシングルマザー看護職なんかも、このパターンは多かった)

家族は大事だし、どちらがいいとは言いきれないが、今は3世代での同居は無くなる方向だなとは、老年医療~介護の現場にいると感じる。これもさらなる地方ではまた違うかもしれない。

1番悲惨なのは、家がー親がーと言う価値観を刷り込まれて、自分の家族を持てなかった上に、親や家に余力がなく金もなく、下手すると親の介護などのケアラーとしての役割だけ担う場合です。皆さん親に不労収入や資産や金がないで、負のものだけ残されてしまう場合は逃げましょう。

道民にこの話をしてみると、確かにしがらみがないと言うが、その反面子の教育とか、親からの遺産とかのマイナス面はあるかもとの事でした



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