子供の能力を奪う方法
家はとにかく過干渉だった。専業主婦が2人いたというのも、祖父と父が教師だったのもあるかもしれない。教科書に書いてある事以外、子供達に何も教えられない教師だったんだ。
祖母と母が働いていないために、無駄に私の事を悪構いして、とにかく何もさせなかった。
10数年前、人が大学に行く理由は何かと聞くと、父は「教養を付けるため」と。その頃の私は飲食店の従業員程度の事しかできず(できていなかったから暴力を振るわれたのだが)、手に職や専門性という物がなかった。
人によってはびっくりするかもしれないが、確かに大学に行くのは教養のため、という時代があったようだ。日本が今のようになった理由が分かる気がする。
1番良くなかったのは、母親が子供達が自分で出来る子にするのではなく、いつまでもいつまでも、「自分は尽くす母親」という位置にしがみついていた事だと思う。
昔は家は金がなかったので、食材をケチったのかもしれない。色んな要因があるが、配膳下膳くらいしか手伝わせない。
これが大人になって来ると、見る人が見たら驚くような光景で、私は長男か何かみたいに、帰って食卓に付くと、母親が全て上げ膳据え膳でやってしまう。
暴力を振るう飲食店で働いていた時に、少しでも料理の練習をしようと食材を用意した事があるが、それを見た母親が勝手に作ってしまった(この時は本気で殺意を覚えた)。
何もかもやってしまう、教えない、考える材料もよこさなかった事が、私の尊厳を著しく傷つけるほどに、私の能力を奪っているのが子供の頃からわかっているからである。
1回両親に向かって、お前ら人の家に行って、そこの娘がこんな風だったらおかしいと思わないのか? と喧嘩した事があるが、両親とも分からない様子だった…。
で、今も上げ膳据え膳で、やられる度に能力を奪われる気はするが、今は子供ではないと言う事、ここまで来たら母親の事を奴隷として一生使ってやろうと思っているから。
あと、実際に私の体が弱く、仕事から帰ってきて起きているのが苦痛なのがある。私は諦めたのだ。
私はそれを良しとして甘んじているから本当は自分では言いたくないが、立派な子供部屋おばさんである。
子供部屋おじさんには母子分離に失敗した無能力者であるなんて葛藤はないだろうけど、自分の世話を自分で出来ない無能力者に貶められてしまったと言うのは、自覚があろうがなかろうがあると思う。
能力を奪うという概念は、介護の学校の先生が教えてくれた。自動で開いたり閉じたり、勝手に流してくれたりする便器が増えてから、トイレのあと流せない子供が増えたとの事。
母親がいつまでも共依存のように、息子の家事能力を付けさせないのは、子供の事を思ってでは無い。自分の立場を強くするための呪いだと思っている。
日本は男社会。ルールを決めたり決定権を持っていたりするのは男性だが、家事という基本中の基本である「作業」が出来ないとか。
長時間労働で生活も家事も遊びもしない日本人男性が立案して作ったものなど、世界で通用するのか? と、ひきこもりしてまだ数年の私でも思ったことだ。
少なくとも自分で自分の面倒も見られない人が(私も)、いい物を作れるとは思わないな。
日本経済の凋落はそういう所にあるのでは無いかと。まだ知的障害言われるくらいの時に考えた事だが