なぜ格差が固定されてしまうのか

私は趣味を通じて人と関わり、人としての能力を取り戻して社会復帰してきた。その中で見てきた物聞いてきたもの色々、思う事はかなり沢山ある。

日本では大きく分けると、カレンダー通りの休日の人、シフト制の仕事の人に分かれている。日本の暦は海外から見ても休みすぎと言われるほどだと。逆に、シフト制の仕事の方が肉体労働なんかが多いのに、休みが少ない。

行動も休日で分断される事が多いので、お互いに関わり合いになる事が少ない。そして、給料が良い仕事も、雇われの身だと暦通りの休日の人の方が、サービス業の多いシフト勤務よりも多いと思われる。

就いた仕事で可処分所得・時間が全く変わってくる。特に今60代くらいの人だと貰っている給料も氷河期世代よりずっと多い。年代格差もある。バブルでいい思いをしてきた男性は、老後の孤独もない。何故かと言うと、飛行機で飲み会に行く財力があるんだ。

60代でアーリーリタイアしている男性と何人も関わってきたが、話していると本気で首を絞めてやりたくなる事もある。これは「下駄履かされた」人に対してだけだけど。ただ、氷河期以前の人は、今の社会の有様を知らない人も多いと感じる。

日本は元々はそこまでの格差社会ではなく、格差社会という言葉が経ってそこまでは経っていないと思う。出てきたとしても小泉(親)が出てきたあとくらいか。ただ、現状格差を挽回するのはとても難しくなってる感じがする。親の経済的余裕と、子の仕事や職業意識には関係がある。

私が思う理由は、最初に書いたように、底辺の仕事の余暇の少なさも影響していると思う。昔分からないながら、放送大学を聞いていた時期があるが、余暇と人間の成長についての回があった。

それによると、バブル崩壊後日本人は、余暇か、残業しての給料維持かを選んで、残業しての給料維持を選択したのだと(初めて知ったと聞いた時は思ったが)

ただ、人が文化的な生活を送るには、休養と学習どちらも出来る時間が必要になると。休みが1日だけだと、体を休めるか遊ぶかになり、学習しての自己実現には至らないというような内容だったと思う。

自分もサービス業で働いてきたが、現場の人間は働き詰めだと思う。上の方の人間がどういう生活してるかも知らないから、文句もそこまで出ずに働けているだけだと思う。で、結構休むのを嫌がる人もいる。金銭が発生するからと言うのもあるが、給料が低いから遊んで金を使うより、働くほうを好むのだ。

だけど、これは見たこと無いから想像付かない人も多いかもだけど、全く疲れない仕事を適当にやって、趣味に明け暮れてきた人間というのは、仕事以外の知識レベルも経験レベルも、底辺の人間とは段違いに出来る。

結局は、自分が大好きなことを、金と時間に物を言わせて、沢山経験して身に付けて行くことができるから。知った事を金とって人に教えられるレベルの人が結構いる。

残念ながら、日本人は余暇を欲しがらなかった(今の若もんは違うようで喜ばしい)。残念な事を言うと、身を粉にして働く事で、他に学んだり経験できたりしたかも知れないこと、全て機会損失しているような。

人脈についてもそうで、底辺同士でつるんでも、なんの向上もない。知識も技術も教養もなければ、そもそも良い人脈も出来ない。仕事漬けの為に、人生を捧げた底辺の仕事、それ以外はできなくなっていると言うのが、The底辺なんじゃないかと思う。

フランス人なんかは何があってもバカンスは取るらしいけど、フランス革命まで虐げられてきた民衆が、また奴隷に戻らない為には、時間が必要だと知っているのかも知れないな。

まあ私も実家の太さを利用して、飲食店勤務も十分に出来ない人→業務独占の資格を取った。サービス業よりも2倍の収入にはなっている。体が悪くなって来ているから、いつまで続くかは分からないけど。
早く安楽死したいぜ…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?