精神的な年齢と行動について。承認欲求とか

ひきこもりを脱出した当初の私は、とても精神年齢が低かった。行動的にも。親の躾、というものが体から忘れ去られてしまっていた。

開けたら閉める、寒ければ着る、重い荷物を下ろすとか、そういう最低限の事も出来なくなっていた。子供の頃の躾はとても大事だと思ってる。大人になってからセルフ躾をするのはとても大変で、何をするにも重い門を開くような思いをします。

その頃はまだ若さと運があって、色々訳有りだけど、私の生きなおしに協力してくれる人がいた。そういう人達に何度も同じ事を怒鳴られ怒鳴られ、自分の悪い所を治して行った。

それは簡単な事ではなく、とにかくとても辛いことだった。が、出来るようになるとか、成長する喜びは大きかった。今もそうだが、当時の私は障害者であったので(無教育による知的障害と言うしかない)、相手する方も大変だったと思う。

当時の私は精神的にも人間性が発達していず、行動も子供と変わらなかった。自分が色々怒られながら何か出来るようになると、それを先輩方に褒めて貰いたくてたまらなかったのだ。

基本的に人間やってれば出来て当たり前な事が殆どだったんで、聞く方も対して聞いてはくれなかったが。そのうち先輩方から逃げて、ファミレスのパートのおばちゃんとか、ツーリングで一緒に走る人とかに色々教えて貰えるようになった。

やっぱり出来るようになって、褒めて見て欲しくてたまらなかったんだ。ただ、社会性が付いて来るに従って、そういう事は大人がやる事ではないと言うことに気づいてくる。

猫と同じようなもんだ。飼っていた猫たちも、自分の運動能力とか、採ったネズミやセミなんかを私に見せに来ていた。今日も家の猫がそんな感じだったんで、昔の事を思い出した。

今は人対人の付き合いでそういう事をする人も減っているとは思うけど。SNSへの投稿とか見ると、人によっては近いもんがあると思う。人によっては、金とか名誉のためにやるんだけど。

精神年齢が低くてそういう事をすると、墓穴を掘るというのは思う事。私だって自分が書いた物が、100人以上に見られるとなったら、こんな事かけたもんじゃ無い。

今は北海道の人と関わっているが、精神年齢が高くて同じ人間とは思えない事がある。私も幼稚なんで自分が大変だった事とか話したくなるけど、大人な人は黙っていられるんだよな。

自分だってもし結婚していたら思うけど、自分の伴侶が自分の事をネットに書き散らしていたら嫌だよな(笑)。その辺は分かっているので、必要最低限の事以外は書かないようにしてるけど。

昔の先輩方は筆舌に尽くし難い物があったが、こんな私に色々我慢してくれたのは感謝してる。1番思い出深かったのは、私が上手く髪を洗ったり乾かしたりできない事を見て、こうやってやるんだよと教えてくれた事だ。

私がそこまで色々できなくなってしまった事は問題だったんだが、その人は色々な被虐待児を見ていたようで、私のようなもんが、そこまでの化け物には見えなかったんだ。

女性だったら世の中にとてつもない貢献ができた人だと思うが、結局は自分の欲の為にやっている事だったので、私も今はそこまでの恩は感じていない。

北海道民に関しては前のnoteにも書いたが、私個人だけでなくて、地域的に比べて自立心が文化レベルで違う。

私の仕事場の人は、3世代・4世代同居の人もいる。そうでなければ子供に土地をやって、自分の家の近くに家を建てさせたり…ある程度土地と余裕がなければできないが。

北海道の人は成人したら家から出て自立して、兄弟とかともあまり縁が無くなるってのが普通なんだってな。今の若い人もそうなのか分からないけど。

これって結局は、同居出来るような家で育ったかってのが、でかい気がする。向こうはでかい家ってあんまりないもんね

北海道の若い人の生態が違っていたら知りたいな。あと、子供が親に認めて欲しくてやる行動とか、猫が飼い主にカッコイイ所を見せたいのは、自己顕示欲とは違う気がします


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