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旅立ちの部屋 2

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「お疲れ様です、キノシタさん」

 私が書類を纏めていると、後輩の女の子が横から挨拶をしてきた。

「お疲れ様です」

「あの、キノシタさん。私、明日から一週間、休暇を頂いていて」

「ああ、そうでしたね。どこかご旅行にでも行かれるんですか」

「ええ、それに一週間後に……旅立ちますので」

「そうでしたね。一週間、楽しんできて下さい。あと、旅立つときはお見送りに行きますね」

「キノシタさんには、とてもお世話になったので、お礼が言いたくて。ご迷惑かと思いますが、少しお時間頂けますか」

「大丈夫ですよ」

「私、最後にここで働けて本当に良かったです。職員の方も優しい人が多くて。私、のろまで不器用で、どこに行っても、怒られたり無視されることばっかりで。ここで初めて、人に必要とされて、居場所ができた気がしました」

「それは良かったです。それに、私もあなたと働けて楽しかったです」

「そんなこと……キノシタさんには、迷惑かけてばっかりでした」

「困っている時に同僚のサポートをするのは当たり前のことですから、そんなこと気にしなくてもいいんですよ」

「こんなに良くして貰ったのに、すみません」

「どうして謝るんですか」

「初めて居場所ができたのに、それでも、安楽死を選んでしまって」

「謝る事ではありませんよ。本来、安楽死は数ある選択肢の中から選ばれるべきものであって、それしか手段がない、追いつめられた状態で選ぶものではありません。現実はそう理想通りにはなりませんけどね」

「やっぱりキノシタさんは優しいですね。これまで本当にありがとうございました」

「休暇、楽しんできて下さいね」

「あの、これ……」

 彼女は鞄から手の平ぐらいの大きさの綺麗にラッピングされた包みを取り出し、私に差し出してきた。

「お世話になったお礼です」

「そんなに気を使わなくてもいいのに」

「フォトフレームです。もし良かったら、笑顔のキノシタさんの写真を入れて欲しいです。私がこんなことを言うのはおかしいですけど」

「ありがとう」

「あと、私が死んだら、角膜を使って下さい。左目も見えるようになって欲しいです」

「そんなこと、気にしなくて良いのに」

「では、また一週間後に来ますね」

 彼女はふんわりとした笑顔を浮かべ、そのまま扉から出て行った。私は彼女から渡された包みを鞄に入れ、しばらく書類の散らばった机を眺めていた。

 机の上にあるフォトフレームがライトの光を反射していた。全体が金色で、左上に歪んだ真珠がちりばめられている。そのフレームをそっと指でなぞりながら、私はあの日のことを思い出していた。

 ふんわりとした笑顔を浮かべた彼女は、宣言通りに逝ってしまった。最期に見せた笑顔はあの日と同じ、ふんわりとした優しい表情だった。

 一緒に見送りをした職員の中には、涙を流す人もいて、彼女は自身が思っていた以上に慕われていたのではないだろうか。

 彼女は予め自らの要望を担当者に伝えていたらしい。彼女が亡くなると、見知った職員が私に近づき、移植のことについて話し始めた。

 私は話が終わる前に首を横に振った。笑顔のままで旅立った、彼女の顔にメスを入れる事は躊躇われたからだ。

 私の左目は未だに眼帯に覆われている。幼い頃、母親から叩かれ、そのまま治療もされず放っておかれたために見えなくなった左目だ。

 結局、彼女の願いを私は何一つ叶えてやれそうにない。

 フォトフレームには、彼女の写真が入っている。亡くなった時に撮った写真だ。まるで、心地良い夢でも見ているかのように、とても安らいだ顔をしていた。


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