ひきこもりは「出かける」(リカバリ期の変化)
逆説的なタイトルになりましたが、ここではリカバリ期にあるひきこもりの方の変化とその心理、スティグマについて考えていきます。
はじめまして、ひきこもごもと申します。
メディカルソーシャルワーカーを中心としたひきこもり支援に関する任意団体「ひきこもごも」と申します。 支援者目線と、元当事者のメンバーによるひきこもりの状態にある方のいまと、気持ちを一緒に考えています。
いままでひきこもりの方、その家族、現行の支援とその課題、支援者のあり方を発信してきました。
ここでは親がしてはいけないこと、と銘打ちひきこもり状態にあるかたの気持ちを考えています。
ひきこもりの方は出かける
さてタイトルにある「出かける」ですが、ひきこもりにある方の特に回復期にあるかたに見られる変化としてよく親御さんが気づきます。
急性期においては、本人は大きく傷ついたり、疲弊したり、あるいは希死念慮まで伴って弱っていて、自室にひきこもり、自身の安全を最優先します。
状況によって、十分な休息ができたり適切な医療を受けれたり、家族や信じる人の支えを得られる期間を経て自身の安全を確認できたあとに外出という形で現れる傾向があります。
ひきこもりは遠出する
ひきこもりにある方が外出したりあるいは支援を必要とするときに近隣の支援を利用することはありません。特に学齢期にあるかたは最寄りの支援機関や相談先ではなく、少し遠い支援機関などを活用します。
そこには地域の「目」がある
同じ学校、親の知り合いなど、自宅付近には近隣の目があるため、最寄りの相談機関に相談せず、あえて今の自分といままでの自分を切り離して困難さと向き合おうとします。そのため遠い相談機関を好んで活用しようとします。
地域のスティグマ、本人のスティグマがある
「あの人ひきこもりらしいよ、怖いね」と思われてしまうのではないか、「ひきこもりだと思われたくない」という思いは、地域による偏見なのか、あるいは本人に根ざすスティグマなのか、本当の原因は誰にもわかりません。本人が自身の現状を正しく受け止められることと、あっけらかんと周囲にオープンにできることは必ずしも同じではありません。
毎日が日曜日ではなく、毎日が夏休み最終日
ひきこもりのかた、特に回復期きあるかたは土日に外出することにあまり抵抗がない傾向があります。むしろ平日の昼間に外出する事に社会人以上に嫌悪感を示す傾向にあります。
一般に世の中には平日休みの仕事はたくさんあり、むしろどこにいっても混んでる土日よりも、すいていたり、安かったりする平日は外出するにはお得のように感じると思いますが、ひきこもりの状態にある方は学生時代から継続して平日にこんなところにいるのはおかしいのではないか、目立つのではないかという意識を持っています。ひきこもりの状態にあるかたを「毎日が日曜日で羨ましい」と言う方がいますが、さながら「毎日が夏休み最終日、本来やるべきみんなやっている宿題をせずに焦っているが焦ったところでどうにもならない緊迫感」のなか自室で過ごしている、といった心情のかたが多いです。
迷惑をかけたくない、だれにも知られたくない
色んな方に助けてもらいたい、多くのひとに自分の気持ちを伝えたいと考えているひきこもりの方はあまりいません。いても長期化していきません。
むしろだれにも知られたくない、迷惑をかけたくないと考えています。
それだけに関係性を断っていき、親子関係しか繋がっていない、孤立した存在に意識的になろうとしていきます。
そのなかで些細なことで親子の摩擦があると、まるで自分の全てを否定されたような過剰反応を見せます。
低依存とは依存先の最大化
依存していない人というのは、依存先が非常に多く、バランスがとれている人のことを言います。家庭があり、会社があり、友人がいて、趣味仲間がいて、実家があり、同期がいて、先輩がいて、地域活動があり、地元仲間がいてと、無数に関係性をもっていて、仮にひとつで機能不全があってもなんら本人の心を大きく乱さない関係性の多さが本人の自立や低依存をもたらします。前項の親子関係しか繋がっていない状態は、非常に親子関係に依存した状態になってしまいます。簡単にささくれ、喧嘩になり、唯一の依存先で関係性を悪化させてしまいます。
日曜日に遠出して支援活動に参加する
親子以外の関係性を、活動しやすい曜日や時間帯に、少し遠出してだれもあなたを知らないところで、関係性をそっと増やしてあげることが、ハードルが低く継続しやすい傾向があります。
もちろん全項では一般論、多くのケースを見てきて感じる傾向をお伝えしています。個別ケースではもっと本人のニーズを敏感に感じ取って応用を効かせて支援計画を立てますが、支援者が全く感じていなかったところがボトルネックになりうるということがあります。支援者しかできない支援がありますが、家族しかできない支援もあります。理解が支援の1歩目です。
私が発信する一般論を読んでいただけること自体は嬉しく思いますが、ご家族目線の、あなたにしかできない支援も必要不可欠です。
ここでは「じゃあわたしはどうしたらいいの」ということで親ならではの支援と、親の感情によるケースごとの予後の違いについて発信しています。