【約7年の引きこもり】を抜け出したきっかけ3選

 

これから書く記事は
実際に引きこもりを経験し
親、近所、同級生、とにかく人が怖くて部屋から出れない日もありつつ

なんとか現在「正社員」にまで脱出したことの体験と
何をしたら引きこもりから脱出できたのかを共有できればと思います。

この記事は引きこもり当事者様、またはその親御様にこそ見てほしいです。

現在引きこもりの方、またはそのご家族の方、100人中1人でも2人でも
ささったり、何かしらの切っ掛けになれば嬉しいです。


抜け出したきっかけ3選


なぜ引きこもりが今、正社員で稼ぎ、
安定したメンタルで暮らしているのか。

結論から書きます。

【第三者の介入】です。

第三者といっても、家族でも友人でもありません。
ましてや兄弟でもご近所さんでもありません。

その存在とは大きく三つ…

①臨床心理士

②心療内科

③若者サポートステーション

この三つです。

もちろん家族の協力もありました。
親同士仲が悪かったのですが、日々改善してくれたり
自分の趣味を一切認めてくれなかった母が一緒にアニメを見てくれたり…
よく怒る母と、うつ病の父が怖くてビクビクしていた幼少期から現在までの時間を、一から家族をやりなおすようにお互いに歩み寄った時間。
そして自分を支えてくれた期間。

この出来事も自分を大きく勇気づけてくれましたが

最終的に第三者が自分の背中を押してくれたのです。

ただ、これは一つの例です。
すべては僕自身の体験で、「こんなのまったく役に立たない」ってお思いの方が多いと思います。

それでも書きます。なぜなら誰かの切っ掛けになるかもしれないから。
もしかしたら困っている誰かがこの記事に辿りついてくれるかもしれないから。


それでは自分の知りうる限りを説明してみます。

①臨床心理士
高額ですが、かなり寄り添ってくれる印象です
(とはいえ自分は相性の問題で一人目の方を数回面談した上でチェンジしました)
自分は当時1回1時間8,000円で受けていましたが、現在は物価高で値上がってるかもしれません。

②心療内科
適切な薬をいただくのも大切ですし、薬をポンと渡すだけのところではなく、話を聞いてくれる場所を探すのも重要です。
高額な臨床心理士さんを月に何度も頼れないですしね。
心療内科にこだわらず、精神科もありです。

③若者サポートステーション(通称: サポステ)
寄り添って話を聞いてくれつつも、実際に就労支援や面接練習、スタートラインに立つまでをサポートしてくれます。
「次の職場に高圧的な人間がいたらどうしよう…」とか「仕事自体が怖い」など、様々な自分の不安をやわらげてくれました。


さて
「いろいろ書いてるが、まずお前はいったい誰ぞや?」
とお思いの方もいらっしゃるかと存じますので
簡単な自己紹介と引きこもり歴をご紹介します。

自己紹介 | 引きこもり年表


私は2025年の現在30代半ばの男です。
今は正社員として日々、自分なりに生きています。

趣味はガチャガチャやったり、写真撮ったり
ネットサーフィンしたりのオタクです。

さて、早速年表を書き出そうとも思います。

引きこもり期間を白い番号① 
働いてる期間を黒い番号❶で表記します。


①中学2年5月~3年 初めての引きこもり

イジメにあい不登校になりました。
記念すべき初めての引きこもりです。
「もやし」だとか、「早く泣け!」とか言われたり
毎日嫌がらせされていました。

小学5年生くらいから嫌だなって思っていたのですが14歳になって急に大爆発し、登校拒否しました。心療内科デビューの年でもあります。

②18歳半ば-20歳 合計200日ぐらい…?

人間関係がうまくいかず専門学校に行けたり行けなかったり
親にお金を出してもらっているのにうまく登校出来ない自分に苛立ちと失望の日々でした。
ここでの引きこもり歴は換算しません。通学と体調不良を繰り返しまくっていたので…。

❸社会人1年目

専門学校卒業後、就職出来たまでは良いものの
業務に身体がついていけず、電車で倒れ入院。
流れるように辞めてしまいました。
社内の雰囲気は良かったのに無念。

当時介抱してくださった駅員様、病院関係者様、
本当にありがとうございました。

④22歳10月~23歳6月 悪夢のクリスマス

1社目を辞職後
関東の1人暮らしから、地方の実家へ戻り休養
近所の目が怖くて外出はなるべく控えていました。
ちなみに22歳の12月24日クリスマス
4年付き合っていた彼女に浮気報告され、別れます。
不安定な男だったので仕方ありませんね。

ただ、これが更なる転落地獄への入り口です。

❺23歳7月-24歳6月 アルバイト

関東に戻りアルバイト生活開始
採用されたときは社会の一員に戻れると泣いて喜びました。
…が、気弱な性格が仇となり、エリアマネージャーから標的にされます。
毎日のように大声で怒られ、いびられていました
うまくいなせない自分にも、マネージャーにも嫌気がさし辞職。

⑥24歳7月-24歳11月

空白期間、心の回復に専念する引きこもりです。
基本家にいましたが、時々買い物にスーパーは行けていました。
マイルドな引きこもりですね。

❼24歳12月-25歳8月 日雇い派遣

日雇い派遣をし食品工場で働きますが、最終的に
朝起きれなくなり、身体と心がボロボロになり退職

友人はどんどん前に進むのに自分は日雇いしてるだとか
外に出ると彼女との幻覚が見えるとか聞こえるとか
また自分はうまくやれないでいるだとか
ネガティブなことを四六時中考えるうちに壊れます。

⑧25歳9月 人生初のパニック発作

ワンルームの部屋でひとりガタガタ震えまくります。
「背中になにかいる!背中になにかいる!」
とにかく背中を壁につけていないと落ち着かない。
あれ?部屋に22歳のころに別れたはずの彼女の気配がする!嬉しい!
こわい!うれしい!いや、こわい!!!!
いよいよ頭のおかしい大人の出来上がりです。

ふと気が付けば母親に電話しており
「からだの震えが止まらない。部屋にいるのが怖くてたまらない」と伝え
ここで関東から地方の実家へ帰る決心をしました。

⑨25歳9月~27歳ごろ 本格的に引きこもる

実家に帰省したものの近所の目は怖い
自信とやる気、メンタルも総崩れし、毎日恐怖しかありませんでした。
前にも後ろにもすすめない停滞の日々を過ごし
不安と焦りから逃げるようにスマホとにらめっこしていた時期でした。
ニコニコ動画、YouTube、2ちゃんねる、現実から離れられるならなんでも良かった。

さらには地方なのに運転免許も持っていなかったし、免許を取るお金もない
この時期が1番か2番につらかったです。

➓27歳アルバイト 2ヵ月

高齢の親にだけ負担はかけられない
なんとかスタジオのアルバイトを始めるものの、お客様の子供をうまくあやせず社長に呼び出され殴られます。
(正確には私の顔の真横の壁を数回殴っていました。いわゆる壁ドンです)

…壁ドンってもう古いか。

とにかくストレスで頭から黄色いリンパ液が流れてくるわ
顔はヘルペスとかいう病気になるわ 手足に水泡ぶくぶくだわ
肌はボロボロ メンタルボロボロ 顔は老け老け

ここから1年と半年、さらに引きこもりました。
外出したらスタジオの社長に会うのではと、数ヵ月出られず引きこもる日々。。

地獄でした。本当に。


最後に


こんなどうしようもない自分でも
29歳からの年表から徐々に仕事が上手くいくようになります。
あくまで徐々にですが…。

続きはつまらないものです。
決して順調ではないけれど、今は幸せだと思えるからです。

気持ちもお金もほんの少し余裕が出て、今ではこうしてノートPCを購入し
noteに記事を掲載してみようと考えられるようになりました。


さて、書きたいことを書き終わったところで初記事を終了いたします。

追加で書けることがあれば、新しく記事を書いてみようと考えています。

最初の1歩は本当に怖いと思いますが
意外となんとかなるもの、やっぱりならないもの
本当に様々です。

人生はままならないことばかりだったけど

30代になった今、
ようやく僕は僕自身の人生を楽しめているなと感じています。

それでも暗黒で自慢のできない引きこもりという体験から学び、
いろいろな人に感謝を忘れないように
両親への仕送りが途切れないように
なんとか今日も生きてみようと思います。


引きこもりから勇気の1歩を踏み出すのは本当に怖いです。
いざ外に出てみようと考えて玄関のドア近くに2時間居座って結果出れないなんてこともありました。
生きるための仕事なんてなったらもっと怖いわけです。

それでも今を生きる喜びを知れて、僕は引きこもりの頃より幸せになったと思います。
どうか今悩んでいる誰かに届きますように。

最後に、拙い文ではございましたが読んでいただきまして誠にありがとうございました。



 

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