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我々は特殊なことをしたのか?~国立駅前ドーナッツパークを振り返る~

長い前置き

先日、JR国立駅前にある旧国立駅舎にて行われたドーナッツパークというイベントに関わらせてもらった。イベント自体をなるだけシンプルにいうと、ドーナッツにまつわる様々なコンテンツを提供し、楽しんでもらうというものだった。ドーナッツの販売や紙粘土のワークショップ、リビングスペースの提供や本の交換、フリーコーヒー、輪投げ、天体ショーおよび天文学者の講演と幅広いコンテンツを3日間提供し、多くの人に楽しんでもらうことができた。

コンテンツ&タイムスケジュール

楽しいイベントを作るお手伝いができたということにとても満足している。いきなり生々しい話で恐縮だが、こうしたイベントごとの企画実施を行う際に、様々なモチベーションの出し方がある。わかりやすいものでは金銭的な報酬、自分の持つ技術を披露して先々の金銭報酬に繋げられるという自らの広告的な報酬、参加して楽しかった・誇らしかった・満足感を得たといった精神的な報酬だ。今回はほぼ精神的な報酬に偏っていて、私自身も仲良くしている近所の人たちと良いイベントをできたということそのものに満足している。ただ、今回この文章を書くにあたって付けた大仰なタイトルには、その精神的な報酬をもう少しだけほしいな、という思いがある。
私は今回のドーナッツパークについて、結構特殊なことをやったのではないかと思っている。
私自身はこうした市民が作り上げるイベントの研究等をしているわけでもなく、またそれに時間を割きたいと思っているわけではない。なので、そのことを正確に理解する術や尺度は自分自身の中にはない。ただ、それでもいろいろな要素を考えていったとき、普通にイベントをやるよりもちょっと意義のあることをやれたんじゃない?と思いたくなってしまうのだ。(実は参加者にもそんな話をして回り、とてもいい答えをいただいたのに、まだ図々しくもこんなことを書き付けている)
長い前置きになったが、そんなわけでこの企画がどういう経緯で実施されたのかを振り返り、その特殊性について私なりの考えを記しておきたい。これを読んだ誰かが「こんなやり方もあるんだ!」とか「こういうことだったんだ!」と何かを見出してくれることがあれば、おそらく私の精神的報酬がちょっとだけ上がる。(というか、これを書きあげられた時点で既に上がる)

場所と関係団体の経緯

旧国立駅舎

旧国立駅舎

そもそも今回イベントを行った旧国立駅舎とはなんなのか。
JR中央線の高架化に伴って2006年に国立駅は現在の形に立て直しが行われている。これにあたり、様々な歴史的背景を持つ旧国立駅舎をただ取り壊すことを惜しむ声が多くあり、これを再築・復原するプロジェクトが持ち上がった。だが、「建て直しました、はいおしまい」というわけにはいかず、建て直した旧国立駅舎をどう活用していくかが問題となる。
平成29年には活用に関する市民参加型の懇親会なども行われており、現在の旧国立駅舎のコンセプトの原型となるような意見が多数出ている。
また、懇親会や報告会、関係団体などで集まった意見をもとに『旧国立駅舎活用方針法告書』がまとめられている。この中ではまちのシンボルになるという再築の目的、今後の活用コンセプトが明示されていて、現在もこの目的・コンセプトがHPなどに明記されている。

旧国立駅舎運営連絡会(主催①)

『旧国立駅舎活用方針報告書』の中で今後の運営について、「民間・市民力を生かした組織による運営を選択肢の一つ」とすることが示されている。おそらくはこれが元になっていると思われるのだが、令和元年度からは旧国立駅舎運営連絡会(以下連絡会)が発足している。
自治体の事業に際し、専門家や市民を集めた会議体を作り、検討を依頼するのはよくあることだ。一般的にこうした会議体として組織される「協議会」や「審議会」は諮問(検討してもらいたい内容)と答申(検討結果の報告)がセットになっており、その意見は事業自体に大きく影響することになる。だが、第1回の資料で明記されている通り、この連絡会はそういった諮問・答申といった形はとらず、今後の旧国立駅舎をどう管理・運営していくかの意見交換の場として作られている。
連絡会の会議資料、議事録はすべて公開されていてHPから見ることができる。これをざっくり斜め読みすると、今後の旧国立駅舎の在り方に関する将来像、活用方法の検討、実際のイベント実施など様々な活動をされていることがわかる。そして、今回のドーナッツパークに関わった第3期の連絡会においては、運営開始から3年が経ったところで見えてきた以下のような課題について議論がされている。

令和5年度第2回旧国立駅舎運営連絡会 配布資料1より

実際に旧国立駅舎サイトに貼られているカレンダーをざっと見てみると多くの日程に予定が組まれているものの、その大半は展示イベントだ。頻度の低い物販・飲食イベントの実施や、マンネリ化傾向を打破するイベントを提案していくことが直近における連絡会の命題となっているように見える。

クラブサバーブ(主催②)

令和4年度クラブサバーブちらし

大きく話は飛ぶが、国立市主催の富士見台地域のまちづくり事業として『クラブサバーブ』というものが令和4年度から行われている。まちに関わることに興味のある市民が集まり、自分たちでまちを面白くするアイデアを出し合いチャレンジするというものだ。
超高齢社会における富士見台地域のこれからを考えた『国立市富士見台地域重点まちづくり構想』の中に掲げられた重点プロジェクトの一つ、「人とまちとの関わりを増やす」ことを目指した取り組み「市民まちづくりプロジェクト100 (通称:市民100プロ)」を引き起こしていくためのリーディング企画である。
私が参加した1年目は市内で様々な活動を行うメンター5名がそれぞれにテーマを掲げ、参加者はメンターごとのグループに分かれてそのテーマの下でアイデアをまとめていくという形になった。短い期間でアイデアをまとめていく大変さと、様々な考えの人と交流する機会を得て非常に面白い体験であったが、いずれのチームの企画も発表までとなり、実施までは至らなかった。(2年目はそこが課題とされたのか、実際にイベントを実施するまでを行っていた)
市民100プロは地域を豊かにしていくため小さなことでも何かに取り組み、それを100個やってみようぜ!というものであった。実際には参加者の中から地域における取組を始める人も増えたと思う。(僭越ながら私たちが作った『谷保ZiNE』も地域に何かしらの貢献をしているならば、その一つであるとみてもよいのだろう)
だが、1年目のクラブサバーブでは、せっかく企画段階まで持っていったものが実行にまで移されなかったことで、チャレンジとしては少々中途半端に終わってしまった部分もおそらくあった。

ドーナッツパークの特殊性

連絡会×クラブサバーブ主催という形

こうした場所も形も全く違う二つの集まりが共同で主催となった。連絡会のメンバーであり、なおかつ第1回クラブサバーブのメンターでもあった小鳥書房店主の落合さんがつなぎ役となっている。
利用率は高いが掲げる目的やコンセプトから見ると課題が残っていて、なおかつその課題突破に苦労する旧国立駅舎連絡会。
プロジェクトの企画までは行えたものの(できるポテンシャルは見えていたが)実行まで至ることができなかったクラブサバーブ1期生。

この両者を引き合わせることで何かしらの化学反応が起きるのではないか。そういった思惑に基づき、双方の課題を結び付ける形でひとまず話だけでもしてみましょうと声掛けをしてくださったのが始まりなのだと私は認識している。
アイデア出しから始まり、数回のミーティングの中でドーナッツを中心に据えたコンセプトが徐々に見え始め、各自が作れるコンテンツを持ち寄り、それに対しそれぞれの持つ技術や知識でサポートをするということがそこかしこで発生した。この詳細を話し始めるとおそらくさらに膨大な文量になっていく(加えて、私はコンテンツ企画段階はあまり関われなかった)のでここでは深く触れない。
だが、実際の当日の様子をご覧いただいた方にはわかる通り、結構な量とレベルのコンテンツを打ち出し、それをしかも3日間続けるという形になった。

現地視察も含めて、相当数の打合せを重ねた

見知らぬ人たちとの協力

一番不思議なこととして感じているのは、このイベントに協力した人々同士で、お互いの素性を全く知らない人が多数いることだと思う。
連絡会メンバーとクラブサバーブ1期生の交流から始まったが、気づけばクラブサバーブ2期生、あるいはその知人など、(おそらく)20人以上の方がかかわる形となっていた。そして、お互いがどういう経緯で企画にかかわることになったのか、そもそも誰なのかもよく知らないということがよくあった。だが、特にそれが問題になることも障壁になることもなかった。
成功要因として私が思いつくものは以下のようなものだ。

  • 目的の共有(イベントの成功)

  • 興味の方向性(まちに関わりたい、このまちが好き、面白い人たちと何かしたい)

  • ポジティブさ(相手をただ批判するのではなく、よりよくするための提案を行うなど)

誰かの意図の中にこういったものがあったかは分からない。だが、これらを共有できる人たちとともにやっているという感覚だけで、結構な人数の協力体制を構築できたというのは、結構すごいことなのではないかと思っている。

夜まで人が集い、にぎわうイベントとなった

精神的なインセンティブ

そうはいっても見知らぬ人と一緒に協力してやるイベント自体は多くある。例えばフェスやマルシェなど、各所で毎週のように行われるイベントにはお互いの素性も知らないスタッフが集められ、目的を共有して実施していることがある。そこには給料や手当といった、金銭的なインセンティブが明確に発生するし、企画自体について説明を受けてきちんとその目的などを説明されて動く(あるいはそれを考えなくてもあまり影響しないことを仕事としてやる)ことが多いと思う。(※ボランティアスタッフに関してはここでは割愛する)
だが序盤にも書いたが、本イベントにおいては金銭的なインセンティブはなかったし、途中参加も含めてスタッフとなった人たちは詳しい説明を受けたりするわけでもなく割とふんわり集まってきているように見えた。何かしらのインセンティブがあるとするならば、新たな人とのつながりへの期待、人々への楽しみを提供できたという満足感、自分たちが楽しめたという満足感、まちが少しでも面白くなった感覚、そういった精神的なインセンティブだ。

駅前にこのような空間を作り出せたという喜びもある

これ自体はやりがい搾取になりかねないという課題的な側面もあると思う。だが、今回重要だったのは、そもそもやらないという選択肢もあった中で、割と自発的にこれをやろう、あれをやりたいという声が上がっていき、それが形になっている点だ。どうしても金銭的なインセンティブへの意識が先行しやすい中で、こういった精神的なインセンティブをメインにして自発的にイベントを開催できることは、とても意義のあることであるように私には思えるのだ。
(ただ、やらない選択肢に関しては、皆おそらく引き際がわからなくなっていたかも?ということも一応申し添えておく…笑)

まとめ(という名の雑感)

このドーナッツパークの成り立ちと特殊性について、私なりに整理してみた。前半で書いた旧国立駅舎や連絡会、クラブサバーブに関する基本的な成り立ちなどはすべて、市のHPに公開されている情報から見ることができる。ただ、多分に私の推測も含まれていると思うので、その点はご容赦いただきたい。こういった情報が公開されていること、そこから推測できることは多々あるということを示したかった。
こう並べて書いてみても、お互いのやってきたことを知りながら参加していた人は割と少なかったように思うし、今回のハブとなってくれた落合さんが言い出してくれなければ、こんな素敵なイベント自体が発生していなかったかもしれないと思うと、本当に不思議な気持ちになる。
この国立市という地域には、こうしたハブとなる場所や人がたくさんいて、その人たちのおかげで様々な力を持った市民がまちへと関わるきっかけが生まれ、面白いことが起き続けている。(谷保ZiNEにも似たようなことを書いたのをふと思い出した)
多少つまらない話をするなら、自治会加入の減少などが嘆かれ、地域とのかかわりが薄くなっているといわれる現代にあって、新たな地域コミュニティの在り方の一種でもあるように思う。
その根源部分を知るきっかけになればと思い、今回この文章を書いてみた。誰かの何かの参考になれば幸いである。

個人的にも、自分がまちや人に対して出来ること、得意とすることを見つめなおす機会にもなったし、こうしてまとめてみたことで改めて自分が参加したクラブサバーブの意味や、旧駅舎に関わる人々のことを知る機会にもなった。これからもうまくかかわりを持ち、ここでの暮らしを楽しんでいくことができたらいいなと思う。

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